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芝居なんきん [雑感小文]

 芝居なんきん

 西へ走る新幹線の車内で求めた幕の内弁当にカボチャの煮つけが入っていて、おや、と思った。

 が、カボチャは別段、冬至の専用ではない。

 夏のカボチャもうまかった。

 昔、女性の好物は「芝居なんきん(カボチャの別名)」といわれた。

 なぜか? カボチャを食べると、お通じがよくなるからではないか。

 食物繊維の多いカボチャは、すぐれた便秘解消食材だ。

 昔の人は経験的にこのことを知っていたのだろう。

 カボチャには体内でビタミンAに変わるカロテンが豊富で、ビタミンB1、B2、Cも多い。

 冬至にカボチャを食べると中風にならず、風邪もひかないという言い伝えはよく知られている。

 昔は、野菜の保存が難しく、冬至のころになると十分に食べられなくなったり、野菜の中のビタミンが減ったりした。

 厚い外皮のおかげで栄養分の変化が少なく、保存の利くカボチャは、冬場の貴重な栄養源だった。

 ビタミンAは、油と一緒だと体によく吸収される。

 ときにはカボチャの精進揚げもいい。

 8月31日は、8=ヤ 3=サ 1=イ の語呂合わせで「野菜の日」。

 野菜は、いくら食べても過食の害が起きない、地上唯一の食材。

 ただし、腎臓病など野菜の食べ方に注意の必要な人もいます。

 主治医の先生によく聞いてください。

夏ばて考 [雑感小文]

 暑い! 暑い! 

 ふるさと屋久島では、だれも彼も、

 「ほめか! ほめか!」と声を発していることだろう。
 
 「ほめか」すなわち「ほ(火)めく」の転訛であろう。

 「炎めく」と書けばさらに一段と暑熱度が高まるようだ。

 市中の暑さに中(あた)り男かな   阿波野青畝

 暑気中り、夏負けは俳句の季語でもあるが、同じ意味の夏ばてはまだそうではない。

 比較的新しい俗語だからだろう。

 昔の『広辞苑』(第一版=昭和30年発行)にも、暑気中りと夏負けだけがあって、夏ばてはない。

 昭和44年の第二版からは載っている。

 ついでに「ばてる」を見ると、これも第一版にはなくて第二版にはある。

 「果てる」が濁って「ばてる」になり、「夏ばて」ができた。

 そういう言葉の俗化が昭和30年代に定着しただろうか。

 今、夏負けや暑気中りはあまり使われない。日常会話ではたいてい夏ばてである。

 「夏ばて 夏、暑さのために、体がぐったりと疲れること。夏まけ」(広辞苑第六版)

 なぜ、暑さは体をぐったり疲れさせるのか。

 最大の原因の一つは汗をたくさんかくことだ。

 汗と一緒に水溶性ビタミンやミネラルが失われ、また、体表の血管が広がって、血流量が増える。

 その分、脳や内臓を流れる血液の量が減り、頭がぼんやりし、体の調子もおかしくなるわけだ。
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白隠式小便法 [雑感小文]

 当方の座りションは、いまのコンクリート長屋の住人になった30数年前からだから、しっかり年季が入っている。

 新聞はトイレ、雑誌は浴室、本は寝床─というのが、わが日常の読書法の常態で、トイレではしばしば普通の読書も行う。

 それに備えて、トイレの片側の引き戸棚の上にのっけた本箱の中には文庫、新書、単行本などが数十冊、収納してある。

 そんなふうに読書用個室としても用いているわけだから、当然、そのたびに便座に座ることになる。これを「便学」と称している。

 北宋の政治家・文人の欧陽修は、馬上、枕上、厠上(しじょう=便所)を、文章を練るのにもっとも適した「三上」と称したそうだが、小生の場合は、便学、留学(入浴=NY留学)、進学(寝学)の「三学」である(あとの二つのコジツケはちと苦しいが)。

 繰り返すが、そんなわけでわが座りション習慣には年季が入っていて、しかもこれには立派な先人がいる。

 白隠禅師である。

 江戸中期の禅僧で、臨済宗中興の祖といわれる白隠慧鶴(えかく)は、多くの著書を遺したが、自らの闘病をもとにした養生書『夜船閑話(やせんかんな)』は一般的にもよく知られている。

 白隠は26歳のときに大病を患った。

「心火逆上し、肺金痛み、水分枯渇し、双脚氷雪の底に浸すが如く、心身怯弱にして、両腋常に汗を生ず」
(心臓の鼓動が激しく、のぼせ、胸が痛み、のどが渇き、足は冷え、身も心も衰弱し、脇の下はいつも汗で濡れている)

「遍(あまね)く明師に投じ、広く名医を探るといへども、百薬寸効なし」
 
 この心身の危機を救ったのが、京都白川の山中に棲む白幽子(はくゆうし)なる仙人に授かった「内観」の法である。

『夜船閑話』に説かれた内観の法は、いわゆる仰臥禅(寝禅)の起源であり、すぐれた健康法として信奉する人も多い。

 それについてはまた別の機会にご紹介するとして、座りションの話に戻ります。
 
 以下は、多くの患者に慕われた臨床医、高山峻先生の著書『白隠禅師 夜船閑話』(大法輪閣発行)からの受け売りである。

 白隠は、駿河国浮島原(静岡県沼津市)に生まれた。

 岩次郎と呼ばれた幼少のころ、生家に招かれて来た専念という仏教の行者が、

「汝、奇骨あり。必ず世の福田とならん」と言い、三つの教えを授けた。

 そこのところ、高山先生の本にはこうある。

「お前はいまにきっと偉い坊主になるぞ。偉い坊主になるには、修業が最も必要であるが、それより大切なことは健康である。健康を得るためには、次の三つの養生秘訣を充分に守ることである。そうすれば必ず延寿長生できる」と教えた。

 一、食汁(しる)の余りは捨つべからず、必ず湯をさして飲むべし。

 二、小便は必ず蹲踞(そんきょ)してすべし、立ったまま放尿すべからず。
 
 三、北方に糞し、また脚を向くべからず。(北を向いて排便したり、足を向けて寝てはいけない)

「これは医学上よりはあまり大した価値はない。ただ第二項において蹲踞して放尿する時はことさらに腹圧を加える必要がないというだけである。この三つで不老長生が得らるる事は大いに疑わしいが、白隠は終生固くこれを守っておった。」

 と、高山先生は述べていられる。

 なお、前出の「福田(ふくでん)」は、仏教用語で、「田が作物を生ずるように、供養することにより福徳を生ずる対象。仏や僧、貧窮の人など」と『広辞苑』にある。

「仏や僧」とならんで、「貧窮の人」が「福田」に挙げられていること、同類の一員として感慨深いものがある。
 
 以上、不肖の身ながら白隠式養生法による便学にいそしむ所以をしこしこと認め、返信したしだい。
 
 それにしても、矢野よ、おたがい、年をとったなあ。

 安酒、かっくらって連れションしたのは、いつのことだったか。いまじゃ座りションをぼやき合うとは……。

 でも、おまえはカネモチになったが、おれは相変わらずビンボーだ。こんど、おごれ。
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立ちションVS座りション [雑感小文]

「おたくは立ちション? 座りション?」と、旧い悪友からおかしなメール。

 久しぶりに外で飲み、帰宅するなりトイレへ直行、盛大放水の快感にひたったのだが、ビールで満杯になった膀胱をカラッポにするのに少々時間がかかった。
 
 その間、酔った足がちょっとふらついたのか、照準がそれたらしく、床面に点滴が散らばった。

「だから、いつも座ってやって! と、いってるでしょう!」

 大いに叱られ(あ、だから「お叱呼」なのか)、すでに解決済みだったはずの論議が蒸し返されることになったのだ、という。

 日用品メーカーのライオンの研究発表が契機となって、立ちションVS座りションの家庭内紛争が勃発したのは、何年前だったか?

 家庭の洋式トイレの気になるにおいは、男性が立ったまま小便をするのが主因。
 
 便器の中の水面に跳ね返った尿が、便器のふちの裏側にたまると、落ちにくい汚れに変質し、臭気が発生する。
 
 尿の中のリン酸カルシウムと、空気中の菌が便器に付着・増殖してできる酸性たんぱく質が結合してできる「尿石」が、その正体である。

 ──というのが、当該研究の要旨だった。

 ライオンは、「男性も座って用を足せば主因はへる」と指摘するとともに、落ちにくい尿石がよく落ちる新洗剤を開発・発売した。

 同じころ、トイレメーカーのTOTO(だったか?)が問題提起した、「トイレのふた&便座論争」というのもあった。

 洋式トイレの状態には、①ふたを閉めた ②便座を下ろした ③便座を上げた の三態がある。
 
 未使用時は① 女性は② 男性は③ が、通常の使用形態である。

 ここで悶着が起こる。

 女性は、どうせ座るのだから、ふたを開けたり閉めたりするのは、とくに面倒ではない。

 だが立ったまま排尿する男性にとって、便座の上げ下ろしに加えてふたの開閉、という二度手間はじつに面倒くさい。つい便座もふたも上げたままになりがちである。
 
 また、立ったままだと、例の床面への飛沫散乱という不祥事が、ときに(または、しばしば)みられ、「座ってやって! ふたをしめて!」という要請ないし強制が行われることとなる。

 要請か、強制かは、家庭内の力関係によって異なる。

 友人宅では、彼が現役だったころは、家にいることも少なく、発言力もそれなりに大であったので、主婦の圧力に全面的に屈することはなかったらしい。

 しかし、定年とともに家にいることが多くなり、発言力も弱まり、いつしか座りションが常態になっていた。
 
 だが、先夜のような切迫状況下で、手早くホースを引き出すには立ちションを選択するしかないではないか。

 それさえ一々、とがめられては、おれの立場がない、男の沽券にかかわる。
 
 ──と、いったしだいで、鬱憤の捌け口を求めての長文メール(なにしろいまやヒマだけはたっぷりあるのだ)の到来となったわけである。

 で、きみはどうなんだ? ──への、当方の答えは、

「おれは、むかしから白隠式の便学を実践してるからね。ずっと座りションだよ」
 
 「なんじゃ、それは? 長い腐れ縁だが、初めて聞くな」
「然らば教えて進ぜよう」

 こんどはこちらが長文メールを打つ番だ。

 その駄弁のあらましは、明日──。
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一笑一若 [雑感小文]

「一怒一老」の対語は「一笑一若」だ。

 笑いは、血管を開いて血圧を下げ、心臓、肺、胃腸など内臓器官の働きをスムーズにし、ホルモンの分泌を盛んにする。
 よく知られている研究だが、漫才などで大笑いしたあと、がん患者のNK細胞の活性度が著しく上昇した。

 NK(ナチュラルキラー)細胞は、免疫を担うリンパ球の一つ。

 感染症のウイルスやがん細胞をやっつける力をもっている。

 免疫力を高める薬を使って、NK活性を同じ程度に上昇させるには3日前後かかるそうだ。

 リウマチの女性患者に落語を1時間聞いてもらったら、リウマチを悪化させるインターロイキン6という物質が減少し、痛みが楽になったという研究報告もある。

 笑うときの横隔膜の上下運動は呼吸と血行を促進する。

 だからよく笑う人は血色がいい

 笑声はけいれんの一種なのでそのあとに弛緩(しかん)がきて緊張が緩和する。大声で笑えば、筋肉の緊張がゆるみ、人間関係の緊張も緩和される。

「商売は笑売」「笑顔にまさる化粧なし」「元気に笑顔が重なれば、鬼に金棒」

「笑」の古字は「咲」。

「花笑」は花開くことだ。

一怒一老 [雑感小文]

 出典は知らないが「一怒一老・一笑一若」という成句がある。

 怒れば年をとり、笑えば若くなる。

 つまり怒りは体に悪い、笑いは健康によいというのだろう。

 大脳生理学者も「不快感、怒り、恐れはいわば戦時体制の心構え」と言っている。(時実利彦著『人間であること』岩波新書)

 怒ると、自律神経の一つの「戦時用」の交感神経系が緊張し、心臓の拍動が激しくなり、血管が収縮し、血圧が上がり、気管支が拡張し、瞳孔が開き、消化液の分泌が減少し、肝臓から糖分が血中に流れ出て燃やされる…というように体内で「さまざまな戦闘状況」が展開される。

 結果、体力を消耗し、胃が痛くなったりもする。

「素問霊枢(そもんれいすう)」という東洋医学の古典には、

「怒れば肝を害し、おびゆれば心を害し、憂うれば肺を害し、考えれば胃を害す」とあるそうだ。

 心身症やストレス性の病気の原理を言い当てた言葉といえるだろう。

 とはいえ、人間、怒るべきときは断固、怒らねばならぬ。

 思い切り怒ったら、強い酒のあとに水を飲むように親しい人と笑い合おう。

 笑いは怒りの解毒剤だ。 

ホタルの教訓 [雑感小文]

 ホタルの季節に由々しい話を聞いた。

 ゲンジボタルの幼虫は、カワニナの稚貝を食べて育つが、それとそっくりの外来種の巻き貝「コモチカワツボ」が国内の河川で急速に生息域を拡大している。

 これをホタルの幼虫が食べると、成虫になる割合がカワニナを食べた場合の6分の1、発光力も半分になる。

「このままではゲンジボタルが激減する」と専門家が警告しているという。

 なぜ、コモチカワツボが増えたのか?

 各地でホタルの放流が盛んだが、カワニナの稚貝は手に入りにくく、コモチカワツボを代用として使うホタル保護団体もあるようだ。

 ホタルを増やし、保護するつもりの活動が裏目に出たわけで、生かじりの知識が思わぬ逆効果を招いてしまう一例だろう。

 心したいと思う。

 ところで、同じゲンジボタルでも光り方は全国均一ではない。

 東日本のホタルの光の明滅は約四秒間隔だが、西日本のホタルのそれは約二秒間隔。

 西日本のホタルはせっかちで、東日本のホタルはのんびり屋なのだそうだ。
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医者と薬と患者 [雑感小文]

 昔、こんな話を聞いたことがある。

 ある製薬会社が、新薬の治験を多くの病院に依頼したところ、一人の医師だけが、ほとんど効かないばかりか、副作用が多過ぎるといってきた。

 不思議に思って、当の先生を訪ねてお話を拝聴するうち、理由が納得できた。

「まるで時代劇の悪代官に白衣を着せたような居丈高な物言いをされる先生で、こんな医者がくれる薬にロクなものがあるわけない、みなさん、そう思われたのではないでしょうか」

 ──と、そんなような話だった。

 これとは正反対の実例もある。

 スペインのある病院で、慢性胃炎の患者に、これはプラセボ(偽薬)です─と告げたうえで、

「でも、治るかどうか、試してみましょう」とのんでもらった。

 結果、八割の人の自覚症状が改善した。

 なぜか?

 本郷道夫・東北大学医学部教授の説明は、こうだ。

「それは、実験を行ったメアリンという先生への信頼感です。

 この先生にならすべて任せても大丈夫と信じてのんだから、偽薬とわかっていても、それだけよくなったのです」
タグ:プラセボ
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薬不信論 [雑感小文]

 100年ほど前のアメリカの医学者(ハーバード大学・生理学教授)で、機知あふれるエッセイストとしても知られた、オリバー・ウェンデル・ホームズは、じつに徹底的な薬嫌いだったらしい。

「あらかたの薬を海に投げ込んでしまえば、人類にとってはこんな幸福はないが、魚類にとってはこんな不幸はないだろう」などと言っている。

 わが貝原益軒先生も相当な薬不信論者だったようだ。

『養生訓』を開くと、

「病ある時、もし良医なくば、庸医(ようい)の薬を服して、身をそこなふべからず。

 只、保養をよく慎み、薬を用ひずして、病のおのずから癒るを待つべし。」(巻第七)

 ──病気のとき、いい医者が見つからなかったら、ヤブ医者の薬を飲んで、よけい体を悪くしてはいけない。

 薬を飲まずに養生して、病気が自然に治るのを待つべきである。

 とか、

「薬はみな、偏性ある物なれば、その病に応ぜざれば、必ず毒となる。

 この故に、一切の病にみだりに薬を服すべからず。

 病の災いより薬の災い多し。」(同)

 ──薬はみんな偏った性質があり、その病気に合わないと必ず毒になる。

 むやみに薬をのんではいけない。

 病気の災いよりも薬の災いのほうが大きい。

 など、

 なかなか強硬だ。

 非常によく効く薬が、どんどんつくられて、大いにその恩恵を得ている人がたくさんいる現代にあっても、本質的な事情は変わらない。

 わかりきったことを言うが、毒にも薬にもならないようなモノは薬ではない。

 のみ方しだいで薬になり、まかり間違えば毒にもなるのが薬である。

 先年、たいへんな騒ぎになった肺がん治療薬「イレッサ」もそうだった。

 イレッサによって劇的に快癒した人もあれば、間質性肺炎で亡くなった人もある。

 いちばん肝要なことは、効くのか、効かないのか、かえって危ないのではないか、その見きわめだろう。

 薬を上手に使う技術は良医の第一条件といえるだろう
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益軒の暴論 [雑感小文]

 貝原益軒の『養生訓』が説く、心身合一の健康法の数々は、現代にもりっぱに通用するものが多い。

 だが、睡眠に関する次のような一節だけは、どうにもいただけない。

「睡(ねぶり)の欲をこらえて、いぬる事をすくなくするが養生の道なる事は人しらず。

 ねぶりをすくなくすれば、無病になるは、元気めぐりやすきが故なり。

 ねぶり多ければ、元気めぐらずして病となる。夜ふけて臥(が)しねぶるはよし。

 昼いぬるはもっとも害あり」 (巻第一)

 ──これ、現代文に直すまでもないとおもうが、いっていることは以下のようなことだろう。

 眠いのを我慢して寝ないのが、健康法であるのを知らない人がいる。

 睡眠を少なくすると病気をしなくなるのは、元気が体を循環するからだ。

 睡眠が多いと、元気が循環せず病気になる。深夜に床に就いて寝るのはよい。

 昼間に寝るのはきわめてよくない。

 このなかで少し当たっているのは、睡眠時間が長過ぎるのもよくないというくだりぐらいで、その他の記述はかなりの曲論・暴論と言わねばならない。

 現代医学は、「ねぶり少なければ病となる(寝不足は万病の元である)」ことを明らかにしている。  
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