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白隠式小便法 [雑感小文]

 当方の座りションは、いまのコンクリート長屋の住人になった30数年前からだから、しっかり年季が入っている。

 新聞はトイレ、雑誌は浴室、本は寝床─というのが、わが日常の読書法の常態で、トイレではしばしば普通の読書も行う。

 それに備えて、トイレの片側の引き戸棚の上にのっけた本箱の中には文庫、新書、単行本などが数十冊、収納してある。

 そんなふうに読書用個室としても用いているわけだから、当然、そのたびに便座に座ることになる。これを「便学」と称している。

 北宋の政治家・文人の欧陽修は、馬上、枕上、厠上(しじょう=便所)を、文章を練るのにもっとも適した「三上」と称したそうだが、小生の場合は、便学、留学(入浴=NY留学)、進学(寝学)の「三学」である(あとの二つのコジツケはちと苦しいが)。

 繰り返すが、そんなわけでわが座りション習慣には年季が入っていて、しかもこれには立派な先人がいる。

 白隠禅師である。

 江戸中期の禅僧で、臨済宗中興の祖といわれる白隠慧鶴(えかく)は、多くの著書を遺したが、自らの闘病をもとにした養生書『夜船閑話(やせんかんな)』は一般的にもよく知られている。

 白隠は26歳のときに大病を患った。

「心火逆上し、肺金痛み、水分枯渇し、双脚氷雪の底に浸すが如く、心身怯弱にして、両腋常に汗を生ず」
(心臓の鼓動が激しく、のぼせ、胸が痛み、のどが渇き、足は冷え、身も心も衰弱し、脇の下はいつも汗で濡れている)

「遍(あまね)く明師に投じ、広く名医を探るといへども、百薬寸効なし」
 
 この心身の危機を救ったのが、京都白川の山中に棲む白幽子(はくゆうし)なる仙人に授かった「内観」の法である。

『夜船閑話』に説かれた内観の法は、いわゆる仰臥禅(寝禅)の起源であり、すぐれた健康法として信奉する人も多い。

 それについてはまた別の機会にご紹介するとして、座りションの話に戻ります。
 
 以下は、多くの患者に慕われた臨床医、高山峻先生の著書『白隠禅師 夜船閑話』(大法輪閣発行)からの受け売りである。

 白隠は、駿河国浮島原(静岡県沼津市)に生まれた。

 岩次郎と呼ばれた幼少のころ、生家に招かれて来た専念という仏教の行者が、

「汝、奇骨あり。必ず世の福田とならん」と言い、三つの教えを授けた。

 そこのところ、高山先生の本にはこうある。

「お前はいまにきっと偉い坊主になるぞ。偉い坊主になるには、修業が最も必要であるが、それより大切なことは健康である。健康を得るためには、次の三つの養生秘訣を充分に守ることである。そうすれば必ず延寿長生できる」と教えた。

 一、食汁(しる)の余りは捨つべからず、必ず湯をさして飲むべし。

 二、小便は必ず蹲踞(そんきょ)してすべし、立ったまま放尿すべからず。
 
 三、北方に糞し、また脚を向くべからず。(北を向いて排便したり、足を向けて寝てはいけない)

「これは医学上よりはあまり大した価値はない。ただ第二項において蹲踞して放尿する時はことさらに腹圧を加える必要がないというだけである。この三つで不老長生が得らるる事は大いに疑わしいが、白隠は終生固くこれを守っておった。」

 と、高山先生は述べていられる。

 なお、前出の「福田(ふくでん)」は、仏教用語で、「田が作物を生ずるように、供養することにより福徳を生ずる対象。仏や僧、貧窮の人など」と『広辞苑』にある。

「仏や僧」とならんで、「貧窮の人」が「福田」に挙げられていること、同類の一員として感慨深いものがある。
 
 以上、不肖の身ながら白隠式養生法による便学にいそしむ所以をしこしこと認め、返信したしだい。
 
 それにしても、矢野よ、おたがい、年をとったなあ。

 安酒、かっくらって連れションしたのは、いつのことだったか。いまじゃ座りションをぼやき合うとは……。

 でも、おまえはカネモチになったが、おれは相変わらずビンボーだ。こんど、おごれ。
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