寛仁親王提言 [健康雑談]
寛仁親王提言
すこし古い話をします。
2003年5月、所属する日本医学ジャーナリスト協会の例会で、三笠宮寛仁さまの講演を聴いた。
過去に6回、がん手術を受け、いままた新しいがんが見つかり、7回目の手術入院を控えた時期だったが、深刻な感じは少しも見せず、がん体験やリハビリの話を、ユーモアを交えて淡々と語った。
その一部を同協会の会報から引用する。
「国際がん学会で、私が自分のがんの話をしたとき、アメリカの高名な頭頚(とうけい)外科医から、
『のどを6回も手術して、そういう声が出るとは信じられない。奇跡的な幸運としか思えない。何か秘密があるのではないか』と、感心されました。
米国の頭頚外科は、ここまでは進歩してないようです。
私の最大の幸運、その秘密は、日本人だったことです(笑)」
「最後に三つのことを言って、話を終わりたいと思います。
第一はインフォームド・コンセントです。
<説明と同意>と訳されていますが、多くの病院では、まだ医師の一方的な押し付けになっている。
説明する医師と、対等になる努力を、患者もする。
情報に対するには、情報をもってすることが大切だと思います」
「第二は、日本の医師はムントテラピー(言葉による治療)が下手です。
これは医師に限りません。
私のおやじや考古学者の講演を聴いていますと、いきなり専門用語が飛び出して、話をそのまま進める。
ヒッタイト帝国とかアッシリアとか言われても、いつごろの、どの辺りの話なのか、素人にはイメージがわきません。
それを、専門家相手のように話すクセがついているのです。
同じことがお医者さんにも言えます。
お医者さんよ、もっとよいムンテラの研究をしてくださいと言いたいです」
「第三は、入院するならよい看護師が揃っている病院をお勧めします。
病院のよさを決めるのは、看護師さん。
婦長よりも、若い看護師さんや子どもをもつ看護師さんの方が思いやりがあるようでした。
ICU(集中治療室)で苦しんでいるとき、<お苦しいですか>と聞いてくる婦長がいました。
呼吸困難を起こしているのだから、苦しいに決まっています。
判で押したような質問をされるとイライラする。
病人には、思いやりのある看護師さん、これが一番です」
殿下の話に出てきた「ムントテラピー」は、ドイツ語のムント(口)とテラピー(治療)の合成語で、医師が、患者に病気や検査の説明をすること。
略して「ムンテラ」ともいい、もともとは言葉で治療するという意味だった─といわれる。
しかし、ドイツ語の辞書のどこにもこんなコトバは見当たらない。
和製ドイツ語だ。
『むんてら』(創元医学新書)という本にそう書かれてある。
しかも、
「一般にこの『ムンテラ』ということばは、悪い意味に解釈されがちである。─『あの医者はムンテラがうまいから流行(はや)る』といわれることは褒めことばにはならない」という。
この本、昭和38年の発行だ。
当時の「ムンテラ」はそんなニュアンスの医者仲間の俗語だったのだろう。
著者の間中喜雄博士は、東洋医学に詳しい気骨のある名医で、該博な知識に裏打ちされた辛らつな文章の筆者としても知られた。
その名は今も「間中賞」(医道の日本社主催)として残る。
毎年、鍼灸(しんきゅう)界ですぐれた仕事をした人に与えられる。
すこし古い話をします。
2003年5月、所属する日本医学ジャーナリスト協会の例会で、三笠宮寛仁さまの講演を聴いた。
過去に6回、がん手術を受け、いままた新しいがんが見つかり、7回目の手術入院を控えた時期だったが、深刻な感じは少しも見せず、がん体験やリハビリの話を、ユーモアを交えて淡々と語った。
その一部を同協会の会報から引用する。
「国際がん学会で、私が自分のがんの話をしたとき、アメリカの高名な頭頚(とうけい)外科医から、
『のどを6回も手術して、そういう声が出るとは信じられない。奇跡的な幸運としか思えない。何か秘密があるのではないか』と、感心されました。
米国の頭頚外科は、ここまでは進歩してないようです。
私の最大の幸運、その秘密は、日本人だったことです(笑)」
「最後に三つのことを言って、話を終わりたいと思います。
第一はインフォームド・コンセントです。
<説明と同意>と訳されていますが、多くの病院では、まだ医師の一方的な押し付けになっている。
説明する医師と、対等になる努力を、患者もする。
情報に対するには、情報をもってすることが大切だと思います」
「第二は、日本の医師はムントテラピー(言葉による治療)が下手です。
これは医師に限りません。
私のおやじや考古学者の講演を聴いていますと、いきなり専門用語が飛び出して、話をそのまま進める。
ヒッタイト帝国とかアッシリアとか言われても、いつごろの、どの辺りの話なのか、素人にはイメージがわきません。
それを、専門家相手のように話すクセがついているのです。
同じことがお医者さんにも言えます。
お医者さんよ、もっとよいムンテラの研究をしてくださいと言いたいです」
「第三は、入院するならよい看護師が揃っている病院をお勧めします。
病院のよさを決めるのは、看護師さん。
婦長よりも、若い看護師さんや子どもをもつ看護師さんの方が思いやりがあるようでした。
ICU(集中治療室)で苦しんでいるとき、<お苦しいですか>と聞いてくる婦長がいました。
呼吸困難を起こしているのだから、苦しいに決まっています。
判で押したような質問をされるとイライラする。
病人には、思いやりのある看護師さん、これが一番です」
殿下の話に出てきた「ムントテラピー」は、ドイツ語のムント(口)とテラピー(治療)の合成語で、医師が、患者に病気や検査の説明をすること。
略して「ムンテラ」ともいい、もともとは言葉で治療するという意味だった─といわれる。
しかし、ドイツ語の辞書のどこにもこんなコトバは見当たらない。
和製ドイツ語だ。
『むんてら』(創元医学新書)という本にそう書かれてある。
しかも、
「一般にこの『ムンテラ』ということばは、悪い意味に解釈されがちである。─『あの医者はムンテラがうまいから流行(はや)る』といわれることは褒めことばにはならない」という。
この本、昭和38年の発行だ。
当時の「ムンテラ」はそんなニュアンスの医者仲間の俗語だったのだろう。
著者の間中喜雄博士は、東洋医学に詳しい気骨のある名医で、該博な知識に裏打ちされた辛らつな文章の筆者としても知られた。
その名は今も「間中賞」(医道の日本社主催)として残る。
毎年、鍼灸(しんきゅう)界ですぐれた仕事をした人に与えられる。
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