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おれの「8月15日」 [日記・雑感]

「後期高齢」なるものの別立ての保険料を払え、という通知がきて、腹を立てた夏だからもう6年も前のことだ。
 同年の男たち数人が、8月15日に仲間の一人の家に集まり、昭和20年のあの日の思い出を語り合った。
 いまやあの日を体験的に知る日本人は、昭和ヒトケタ以上の年寄りばかりになったが、そのすべての人がめいめい自分自身の「昭和20年8月15日」の記憶をもっている。
 60余年前の特定の一日を、親が死んだ日と同じように覚えている。
 そんな日はほかにはないだろうと思う。

 高見順などの日記にも明らかだが、あの日は日本全国、快晴でセミが鳴きしきっていた。       

 おれはその春、入学したばかりの旧制中学校がB29に焼かれ、鹿児島と種子島・屋久島航路の連絡船2隻のうち1艘(八重岳丸)は潜水艦に沈められ、残った1艘(橘丸)は就航を中止してしまったため、陸軍船舶部隊(夜中だけ航行するからか? 「暁部隊」と呼ばれていた)の、元は漁船だった小船に乗せてもらって帰省。
 屋久島の山の中の小屋で暮らしていた。
 なぜ山の中かというと、集落が4月初めと5月のなかごろ、グラマンの空襲と、潜水艦の艦砲射撃を(各1回)受けたことにおったまげて、村中こぞってあちこちの山奥に分散「疎開」していたからだ。
 戦争が終ったらしいと聞き、では、もう安心だなと、山から村の家への道を歩いているうち、不意に胸の底から歓喜が突き上げてきた。
 すると、足がひとりでに動いて、夏草の茂る小道を全力で走り出していた。

 それがおれの昭和20年8月15日だ。

 追記。戦争が「終った」のではなく、本当は「敗けた」のだと知ったのは、いつだったのか、それは記憶にない。            

追記2 高見順『敗戦日記』(抄)
十二時。時報。
君が代奏楽。
詔書の御朗読。
やはり戦争終結であった。
君が代奏楽。つづいて内閣告論。経過の発表。
──遂に敗けたのだ。戦いに破れたのだ。
夏の太陽がカッカと燃えている。眼に痛い光線、烈日の下に敗戦を知らされた。
蝉がしきりに鳴いている。音はそれだけだ。静かだ。

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