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八月の詩歌 [日記・雑感]

6日の広島は雨、9日の長崎は炎天、鎮魂の祈りをささげた「原爆の日」を経て、15日は「終戦の日」。
「新年は、死んだ人をしのぶためにある」とは、中桐雅夫の詩句だが、8月は、戦火に命を奪われた人びとを、国中で弔う月である。
 没して10年。
 庶民の心で社会と生活を見つめつづけた詩人の詩を読んでいただこう。

  弔詞           石垣りん
職場新聞に掲載された一〇五名の
戦没者名簿に寄せて

ここに書かれたひとつの名前から、ひとりの人が立ち上がる。 ああ あなたでしたね。
あなたも死んだのでしたね。

活字にすれば四つか五つ。その向こうにあるひとつのいのち。悲惨にとぢられたひとりの人生。

たとえば海老原寿美子さん。長身で陽気な若い女性。一九四五年三月十日の大空襲に、母親と抱き合って、ドブの中で死んでいた、私の仲間。

あなたはいま、
どのような眠りを、
眠っているだろうか。
そして私は、どのように、さめているというのか?

死者の記憶が遠ざかるとき
同じ速度で、死は私たちに近づく。

戦争が終って二十年、もうここに並んだ死者たちのことを、覚えている人も職場に少ない。
死者は静かに立ち上がる。
さみしい笑顔で
この紙面から立ち去ろうとしている。忘却の方へ発とうとしている。

私は呼びかける。
西脇さん、
水町さん、
みんな、ここへ戻ってください。
どのようにして戦争にまきこまれ、
どのようにして
死なねばならなかったか。
語って
下さい。

戦争の記憶が遠ざかるとき、
戦争がまた
私たちに近づく。
そうでなければ良い。

八月十五日。

眠っているのは私たち。
苦しみにさめているのは
あなたたち。
行かないで下さい 皆さん、どうかここに居て下さい。
(童話社刊『表札など』所収)


 夫婦老い 泪(なみだ)見せ合ふ 終戦日 殿村菟絲子

 六二三(ろくにいさん)、八六八九八一五(はちろくはちくはちいちご)、五三(ごさ ん)に繋(つな)げ 我ら今生く 西野防人
(注=六二三は「沖縄戦終結」、八六は「広島原爆」、八九は「長崎原爆」、八一五 は「敗戦」、五三は「憲法施行」の日)

 8月は戦争を思い出す月である。
 戦争を忘れてはいけない月である。

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