学芸通信社への手紙 [プロテスト]
「バカ」や「わかる」は使ってはいけない。
必ず「ばか」「分かる」としなければならないと言い張る、通信社の編集者相手の議論の挙句、相手は、その連載記事「健康歳時記」の配信を打ち切ると言ってきた。
理由は、大震災の被災地の新聞への配信が解除されて、経費面で引き合わないからだという卑劣なウソを口実にして─。
以下は、同社への手紙の原文である。
拝啓。
長いあいだお世話になりました。
このような結末を迎えることになるとは、まさに〝想定外〟のことでしたので、いささか不本意であり、気持ちが落ち着くのに時間がかかりました。
そちらは数多くの配信記事の小さな一つを中止しただけでしょうが、こちらは四半世紀以上えんえんと続けて、生活の一部となっていた仕事ですから、喪失感の重さが全く違ったわけです。
早い話、「大変心苦しいのですが、上半期が終わる六月下旬をもちまして、健康歳時記の配信を中止することとなりました」とおっしゃっても、その「心苦しさ」は、たぶん手紙を書いたあとはすぐに消失するたぐいの、レトリックでしかなかったのではないでしょうか。
しかし、当方は、打ち切りを告知されたあとも一カ月余にわたって、従前どおりの駄文をつくり続けなければならなかったわけで、これはけっこう辛い仕事でした。
連載中止の理由として、そちらが挙げたのは被災地の新聞三紙の配信の解除でしたが、それが理由のすべて─いや、一部でさえなかったことは、明らかです。
おそらく本当の理由を告知することで生じる軋轢を避けるための婉曲な口実だったのだろうと思います。
その親切な配慮に応えるふりをするのが、大人の知恵というものでしょう。しかし、それはどうも小生の性に合いません。
なぜ、このような結末を迎えなければならなかったのか?
理由はたった一つ、拙稿の用字・用語についての、双方の理解ないし解釈の違いですよね。
いまさら多弁を弄するのも詮ないことですが、たとえば「バカ」や「わかる」についていえば、「記者ハンドブック」にも、朝日や毎日の「用語集」にも、「馬鹿→ばか」「解る、判る→分かる」とあります。
これは、「馬鹿」や「解る、判る」を用いてはいけないという指示であり、「バカ」や「わかる」を禁じているのではないと、小生はかんがえます。
だから各紙の紙面に、「バカ」や「わかる」が普通にみられるわけで、文脈によって、適宜使い分けてよいのだろうと思います。
事実、『記者ハンドブック』そのものにも、
「表記例のうち、漢字で掲げてあるものは、原則として漢字書きにするが、漢語を除いて平仮名書きしてもよい。文章の硬軟、文脈に応じて平仮名書きを活用する。
また平仮名書きの表記例は必要に応じて片仮名書きにしてもよい」とあります。(同書131ページ=「用字用語集 使用の原則」)
「バカ」や「わかる」がこの適応例であるのは、言うまでもないことです。
確かめたわけではありませんが、共同通信自体の配信記事にも「バカ」や「わかる」は頻出しているのではないでしょうか。
それは、あなたが言われる「記者の癖」によるものでしょうが、
そもそも「記者ハンドブック」も「用語集」も、つまりは記者各人の恣意的な「書きぐせ」を排し、統一するために作られたものであり、しかし、その範囲内で許容される用語・用法の一例が、「バカ」や「わかる」なのではないかと思うのです。
だから、なぜ、あなた方が、そのように「ばか」や「分かる」に固執するのか? というのが、小生がずっと持ち続けた疑念でした。
「たんぱくしつ(蛋白質)→タンパク質」については、どうにも納得できず、お節介な手紙(配信先各社への「たんぱく質」使用を認めていただく)の見本を提示して、ようやく御社の許諾が得られたのでしたが、あの時点でも二、三の地方紙の紙面ではすでに「たんぱく質」が用いられていました。
「記者の癖」といえば、あなたと小生のあいだにもそれの違いがありました。
そのためにしばしば生じた悶着?がエスカレートし、このような結末に至った大きな一因になったとも小生は思います。
二、三、例を挙げると、「壮年の脳出血」という小文のなかで、小生のがん発症以来、一方ならぬ心配をしてもらった知人のくも膜下出血による急逝に触れて、
「お見舞いをいただいたほうはまだのんきに生きている。申し訳ないような不公平だ。」と書いた文の末行が、掲載紙の紙面では、
「申し訳ないようで不公平に思えた。」に直されていました。
なぜ直されなければならないのか、小生にはわからず、ぐだぐだと文句を連ねて、
「あなたにも、おれにも、身についた語感というものがあって、それはお互い、尊重しなければならないと思います。ロクな文章じゃないけど、能無しは能無しなりに、考えながら書いているわけで、そこのとこ、わかってもらいたいと思うのは、ゼイタクな希望だろうか」とメールしましたが、あなたからの返信はもらえませんでした。
また、脳卒中の前兆として起こる頭痛の症状を述べたあとの、「そんなときはためらわず脳外科を受診しよう」が、
「そんなときはためらわず脳外科で受診しよう」と、「を」が「で」に直されていました。
「脳外科で診てもらおう」や「脳外科で診察を受けよう」だったらいいが、「脳外科で受診しよう」はおかしい。小生には語感的に違和感がありました。
百歩ゆずって、それもよしとしても、「脳外科を受診しよう」のほうが、すぐに病院へ行こうという勧めが明確に現れていると思うのです。
意味が通じないわけでも、文法の間違いがあるわけでもない。なぜこんな無意味な直しをするのか、理解できず、ハラを立てたのでした。
また、こんなこともありました。
血圧の記事で、「脈圧」と「平均血圧」の意味を説明した部分、
「脈圧は心臓に近い太い血管の、平均血圧は末梢の細い血管の、硬化度の指標とされる」が、新聞の紙面では、
「脈圧は心臓に近い太い血管の平均血圧は、末梢の細い血管の硬化度の指標とされる」と意味不明の珍文に化けていました。
で──、
たかが「、」一個のことをグダグダ言いたくないので、言わせないようにしてください。 どうか、今後はこういう直しはしないでください。よろしくお願い申し上げます。─とメールを送りました。
それへの返信の全文は、
お世話になっております。メール拝受致しました。読点の件、すみませんでした。軽率に変えてしまったようです。以後気を付けますので、よろしく御願い申し上げます。─でした。
しかし、その後もしばしば納得できない直され方に気づくことがあり、昨年七月から配信前の原稿を見せてほしいと要請しました。
たぶん、そのことも今回のご処置の遠因になったのではないでしょうか。
でも、言わせてもらえば、そのことによって、例えば、「庭花火をみなの声のいろいろな」が、
「庭花火を みなの声の いろいろな」というヘンな句切り(「みなの声」ではなく、正しくは「をみなの声」)になっているのを避けることもできたし、
最終回の原稿の「どこかの老人ホーム?」という単語に係る「?」のあとが、一字アキになっているのを、訂正することもできました。
ま、しかし、考えてみると、そうしたことに固執し過ぎるのは、悪しき瑣末主義だったのかもしれません。また、偏狭な性格ゆえ、ついカドの立つ物言いになるというようなこともありました。
要するに、小生とあなた─学芸通信社との相違点は、用字・用語法の一部についてのパーセプション・ギャップというか、許容度の差であり、結局、そこのところが最後まで理解し合えなかったのが、この結末につながったのだと思います。
おそらく、今回、御社がくだした結論の直接的理由は、直前に交わされた「わかる・分かる」論議だったのでしょうが、論の正否がいずれに存するかは前述したとおりです。
むろん、そちらにはそちらの主張があり、いろいろお腹立ちのこともあったでしょう。物言いがいささかエキセントリックにすぎる面があったことは認めますが、しかし、ハッキリ言っておきたいことは、小生が問題にしたのは、あくまでも記事の用字・用語、表現にかかわる問題であって、相手(つまりあなたや学芸通信社)に対する、誹謗、暴言、人格を否定するような発言はなかったはずです。
二十五年余、自分なりに精一杯努力してきたつもりですが、結局のところ、お互い、分かり合えなかったということであり、それはどうにも仕方のないことだったと思います。思いますが、しかし、なんとも不明朗な幕切れであり、怒りを禁じえないのも事実です。
反論があれば伺います。 敬具。
七月一〇日 丸山寛之
学芸通信社 □□□□様
必ず「ばか」「分かる」としなければならないと言い張る、通信社の編集者相手の議論の挙句、相手は、その連載記事「健康歳時記」の配信を打ち切ると言ってきた。
理由は、大震災の被災地の新聞への配信が解除されて、経費面で引き合わないからだという卑劣なウソを口実にして─。
以下は、同社への手紙の原文である。
拝啓。
長いあいだお世話になりました。
このような結末を迎えることになるとは、まさに〝想定外〟のことでしたので、いささか不本意であり、気持ちが落ち着くのに時間がかかりました。
そちらは数多くの配信記事の小さな一つを中止しただけでしょうが、こちらは四半世紀以上えんえんと続けて、生活の一部となっていた仕事ですから、喪失感の重さが全く違ったわけです。
早い話、「大変心苦しいのですが、上半期が終わる六月下旬をもちまして、健康歳時記の配信を中止することとなりました」とおっしゃっても、その「心苦しさ」は、たぶん手紙を書いたあとはすぐに消失するたぐいの、レトリックでしかなかったのではないでしょうか。
しかし、当方は、打ち切りを告知されたあとも一カ月余にわたって、従前どおりの駄文をつくり続けなければならなかったわけで、これはけっこう辛い仕事でした。
連載中止の理由として、そちらが挙げたのは被災地の新聞三紙の配信の解除でしたが、それが理由のすべて─いや、一部でさえなかったことは、明らかです。
おそらく本当の理由を告知することで生じる軋轢を避けるための婉曲な口実だったのだろうと思います。
その親切な配慮に応えるふりをするのが、大人の知恵というものでしょう。しかし、それはどうも小生の性に合いません。
なぜ、このような結末を迎えなければならなかったのか?
理由はたった一つ、拙稿の用字・用語についての、双方の理解ないし解釈の違いですよね。
いまさら多弁を弄するのも詮ないことですが、たとえば「バカ」や「わかる」についていえば、「記者ハンドブック」にも、朝日や毎日の「用語集」にも、「馬鹿→ばか」「解る、判る→分かる」とあります。
これは、「馬鹿」や「解る、判る」を用いてはいけないという指示であり、「バカ」や「わかる」を禁じているのではないと、小生はかんがえます。
だから各紙の紙面に、「バカ」や「わかる」が普通にみられるわけで、文脈によって、適宜使い分けてよいのだろうと思います。
事実、『記者ハンドブック』そのものにも、
「表記例のうち、漢字で掲げてあるものは、原則として漢字書きにするが、漢語を除いて平仮名書きしてもよい。文章の硬軟、文脈に応じて平仮名書きを活用する。
また平仮名書きの表記例は必要に応じて片仮名書きにしてもよい」とあります。(同書131ページ=「用字用語集 使用の原則」)
「バカ」や「わかる」がこの適応例であるのは、言うまでもないことです。
確かめたわけではありませんが、共同通信自体の配信記事にも「バカ」や「わかる」は頻出しているのではないでしょうか。
それは、あなたが言われる「記者の癖」によるものでしょうが、
そもそも「記者ハンドブック」も「用語集」も、つまりは記者各人の恣意的な「書きぐせ」を排し、統一するために作られたものであり、しかし、その範囲内で許容される用語・用法の一例が、「バカ」や「わかる」なのではないかと思うのです。
だから、なぜ、あなた方が、そのように「ばか」や「分かる」に固執するのか? というのが、小生がずっと持ち続けた疑念でした。
「たんぱくしつ(蛋白質)→タンパク質」については、どうにも納得できず、お節介な手紙(配信先各社への「たんぱく質」使用を認めていただく)の見本を提示して、ようやく御社の許諾が得られたのでしたが、あの時点でも二、三の地方紙の紙面ではすでに「たんぱく質」が用いられていました。
「記者の癖」といえば、あなたと小生のあいだにもそれの違いがありました。
そのためにしばしば生じた悶着?がエスカレートし、このような結末に至った大きな一因になったとも小生は思います。
二、三、例を挙げると、「壮年の脳出血」という小文のなかで、小生のがん発症以来、一方ならぬ心配をしてもらった知人のくも膜下出血による急逝に触れて、
「お見舞いをいただいたほうはまだのんきに生きている。申し訳ないような不公平だ。」と書いた文の末行が、掲載紙の紙面では、
「申し訳ないようで不公平に思えた。」に直されていました。
なぜ直されなければならないのか、小生にはわからず、ぐだぐだと文句を連ねて、
「あなたにも、おれにも、身についた語感というものがあって、それはお互い、尊重しなければならないと思います。ロクな文章じゃないけど、能無しは能無しなりに、考えながら書いているわけで、そこのとこ、わかってもらいたいと思うのは、ゼイタクな希望だろうか」とメールしましたが、あなたからの返信はもらえませんでした。
また、脳卒中の前兆として起こる頭痛の症状を述べたあとの、「そんなときはためらわず脳外科を受診しよう」が、
「そんなときはためらわず脳外科で受診しよう」と、「を」が「で」に直されていました。
「脳外科で診てもらおう」や「脳外科で診察を受けよう」だったらいいが、「脳外科で受診しよう」はおかしい。小生には語感的に違和感がありました。
百歩ゆずって、それもよしとしても、「脳外科を受診しよう」のほうが、すぐに病院へ行こうという勧めが明確に現れていると思うのです。
意味が通じないわけでも、文法の間違いがあるわけでもない。なぜこんな無意味な直しをするのか、理解できず、ハラを立てたのでした。
また、こんなこともありました。
血圧の記事で、「脈圧」と「平均血圧」の意味を説明した部分、
「脈圧は心臓に近い太い血管の、平均血圧は末梢の細い血管の、硬化度の指標とされる」が、新聞の紙面では、
「脈圧は心臓に近い太い血管の平均血圧は、末梢の細い血管の硬化度の指標とされる」と意味不明の珍文に化けていました。
で──、
たかが「、」一個のことをグダグダ言いたくないので、言わせないようにしてください。 どうか、今後はこういう直しはしないでください。よろしくお願い申し上げます。─とメールを送りました。
それへの返信の全文は、
お世話になっております。メール拝受致しました。読点の件、すみませんでした。軽率に変えてしまったようです。以後気を付けますので、よろしく御願い申し上げます。─でした。
しかし、その後もしばしば納得できない直され方に気づくことがあり、昨年七月から配信前の原稿を見せてほしいと要請しました。
たぶん、そのことも今回のご処置の遠因になったのではないでしょうか。
でも、言わせてもらえば、そのことによって、例えば、「庭花火をみなの声のいろいろな」が、
「庭花火を みなの声の いろいろな」というヘンな句切り(「みなの声」ではなく、正しくは「をみなの声」)になっているのを避けることもできたし、
最終回の原稿の「どこかの老人ホーム?」という単語に係る「?」のあとが、一字アキになっているのを、訂正することもできました。
ま、しかし、考えてみると、そうしたことに固執し過ぎるのは、悪しき瑣末主義だったのかもしれません。また、偏狭な性格ゆえ、ついカドの立つ物言いになるというようなこともありました。
要するに、小生とあなた─学芸通信社との相違点は、用字・用語法の一部についてのパーセプション・ギャップというか、許容度の差であり、結局、そこのところが最後まで理解し合えなかったのが、この結末につながったのだと思います。
おそらく、今回、御社がくだした結論の直接的理由は、直前に交わされた「わかる・分かる」論議だったのでしょうが、論の正否がいずれに存するかは前述したとおりです。
むろん、そちらにはそちらの主張があり、いろいろお腹立ちのこともあったでしょう。物言いがいささかエキセントリックにすぎる面があったことは認めますが、しかし、ハッキリ言っておきたいことは、小生が問題にしたのは、あくまでも記事の用字・用語、表現にかかわる問題であって、相手(つまりあなたや学芸通信社)に対する、誹謗、暴言、人格を否定するような発言はなかったはずです。
二十五年余、自分なりに精一杯努力してきたつもりですが、結局のところ、お互い、分かり合えなかったということであり、それはどうにも仕方のないことだったと思います。思いますが、しかし、なんとも不明朗な幕切れであり、怒りを禁じえないのも事実です。
反論があれば伺います。 敬具。
七月一〇日 丸山寛之
学芸通信社 □□□□様
2011-07-18 21:16
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