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心の絆 [エッセイ]

 2011年3月11日。

 私たちの国、日本が瞬時にして一変したあの日の昼過ぎ─。

 私は、小さい仕事を一つ仕上げて、仕事部屋を出て居間のこたつに脚を入れて、体を横たえたところでした。

 と、不意に床下から突き上げられるような振動が体に伝わり、地震だ! 

 あわてて上体を起こすのと同時に、家がゆらりと揺れました。ゆら~り、ゆら~り、ブランコのように家が揺れ続けます。

 ずいぶん長い大きな揺れだなあ…、これは近いぞ、ついに関東大震災の再来か。
 
そう思いながらテレビをつけたら「東北地方に地震…」とテロップが流れています。

 東北なのに、なぜ東京もこんなに揺れるのだ? いぶかしむ間もなく、またも、ゆら~り、ゆら~りが始まりました。

 昼下がりのドラマを放映していたテレビの画面が切り替わり、信じ難い異様な光景が映し出されました。

 海が、凶暴な意思をもつ生きもののように陸地へ向かって動いてきます。
 
黒い巨大な水のうねりが有無を言わさぬ勢いで、船を転覆させ、車をのみ込み、家を押し流していく…。

 ぼうぜんと見ているうちになにか息苦しく奇妙な痛みが胸中にあふれるようでした。

 CMの消えたテレビは、どのチャンネルも連日、おびただしい死と絶望の様相を映し続けました。

 家を失い、家族が散り散りになり、廃虚の中に孤立し、寒さと空腹に耐えている人たち、不眠不休で救助に当たっている人たち…。

 そんな人たちの心に届くどのような言葉があるだろう。

 そう思うと、つくづく自分の言葉の軽さ、薄さがむなしく、ぼんやり虚脱してしまうようでした。

 そんなある日、ふと、幕末の歌人、橘 曙覧の歌集『独楽吟』中の一首が、頭に浮かびました。

 たのしみは 家内五人(やうちいつたり) 五たりが 風だにひかで ありあへる時

 注釈は不要でしょうが、
「自分と妻と三人の子─家族五人が、風邪ひとつひかず、元気でいられることほど、ありがたく、たのしいことはない」というのです。

 貧しい文人の暮らしながら─それゆえにこそ─むつみ合う家族の情景や日々の小さな喜びを詠んだ『独楽吟』(どくらくぎん)には、人生の幸せとは何かを教えてくれる、心にしみる歌が52首、並んでいます。

 たのしみは 妻子(めこ)むつまじく うちつどひ 頭(かしら)ならべて 物をくふ時

 たのしみは まれに魚(うお)煮て 児等(こら)皆(みな)が うましうましと いひて食ふ時

 たのしみは 三人(みたり)の児ども すくすくと 大きくなれる 姿みる時

 ああ、ほんとうにそうだと思います。

 そこに歌われているのは、人として最も大切なもの、幸福というものの原点で、つまりそれは家族の絆にほかなりません。
 
 そのかけがえのない絆を失った多くの人びとを支えるもの、元気づけるもの、再生の意欲をもたらすもの、それもまた、人びとの心の絆にほかならないのです。

 テレビの画面に現れる訴え「つながろう日本! 絆」を見るたびに、人が生きていくうえで最も大切なもの、それが「絆」であると、強く教えられました。

 ギリシャ神話のパンドラの函の底に一つだけ残った「希望」のように、いま日本人の心をつなぐ一つの言葉が「絆」なのだと、胸底に刻みつけました。

 そしてある日の新聞で感動的な詩に出会いました。

『言葉』と題された谷川俊太郎さんの詩です。一部を引用させてもらいます。

何もかも失って
言葉まで失ったが
言葉は壊れなかった
流されなかった
ひとりひとりの心の底で

言葉は発芽する
瓦礫の下の大地から
─略─
言い古された言葉が
苦しみゆえに甦る
哀しみゆえに深まる

 言葉の無力さを思い知らされたあと、私は、ふたたび言葉の力を知ることができました。……
 じつは大震災に関連して、私の身上にも一つの変事が生じ、あれこれ思い悩むことがあったのですが、いまは一歩、一歩、前へ歩いていこう。そう強く思い決めています。

 (株)心美寿有無企業情報誌「絆」より 

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