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死に方の研究 [エッセイ]

 求ム! 美女刺客


 久里洋二さんが、こないだ、フェイスブックに、書いていた。

 全文、下のごとし。


(死を考える)

後3年で90歳、そろそろ死を考える年になった。

が家のベッドで死にたくない。できたら銀座四丁目の交差点で美女に心臓を刺されて死にたいな。

さあ、後の始末はどうなるか想像してください。

面白いですよ。


 ええ、ええ、じつに面白い!

 久里さんらしい洒脱な達観に感服し、なるほど、この手があったか、と、教えられ、わるくないな、と、首肯した。

 当方もしばらく前から同じテーマについて熟慮思案中であったからだ。

 結果、小生が到達したのは、

 一にポックリ、二に肺炎、三、四がなくて五に野垂れ死に。──である

 しかし、考えてみるとこれが案外難しい。

 一を実現するには、超重症の脳卒中か心臓病、あるいは中枢性睡眠時無呼吸症といった病気の急性発作の先行が必要だが、必ずうまくいくとは限らない。

 ヘタすると、寝たきりの植物状態になりかねない。進歩いちじるしい現代医術のおせっかいというか、ありがた迷惑というか。

 これを回避すべく健康保険証のケースには「いかなる延命治療も拒否します」と記したカードを同封してある。

 人事不省の患者の意思が尊重されることを願うのみである。

 二はうまく風邪をひいて、うまく肺炎になれると、わりあい達成率は高いようだ。

 長く寝込むこともなく、痛くもかゆくもなく、安らかな永眠が得られる。絶好の昇天術である。

 年寄は風邪引き易し引けば死す 草間時彦

 肺炎は老人の最後の友である ウイリアム・オスラー

 ところが、当方、南方生まれ(屋久島・永田村)の希代の寒がり、冬になると股引き3枚、毛糸の五本指靴下重ねばき、綿入りどてらにくるまり、よんどころない外出のさいは衣類に貼るカイロ、毛糸の頭巾、襟巻き、オーバーコートでもって完全武装、よたよた歩き、タクシーが来るとつい手を挙げてしまう。貧乏も寒さには勝てない。

 そんなワケでなかなか風邪をひくチャンスがないのである。

 実さいこの何年か、風邪ひいてない。薬箱には「葛根湯」がどっさり残っている。

 残るは五だが、これを成就するには本物の哲人、宗教家の大悟がなくては叶うまい。

 見栄っ張りの小心、臆病、年中心細くおどおどと生きている小男じじいにその覚悟が自得できるわけがない。百まで生きても無理だろう。

 となると、俄然、久里さん方式への願望が激しく強くなる。

 それがうまくいったら、テレビ・ラジオ・新聞・週刊誌、あらゆるマスメディアに、わが名が生まれて初めて登場するだろう。

 家門の誉れ、死に花咲かせる、とは、このことだろう。

 求む! 銀座四丁目美女刺客!

 ただ、ここに問題が一つ、いや二つ、あるんだよね。

 一つは費用(彼女への謝礼)の問題。久里さんと違って、当方は極貧の身、彼女のご要望に応じられるか、どうかである。

 さいわい、哀れな当方の事情を、無欲で慈悲深い美女がご理解くださり、快諾が得られたとして、さらなる難題は、久里さんも懸念しておられる「後の始末」である。

 腕も知恵も人並みすぐれた彼女のことゆえ、首尾よくその場を脱し、現行犯逮捕を免れたとしても、警視庁には特命係の杉下右京がいるではないか。

 果たして右京の目からも逃げおおせて、めでたし、めでたしとなるのなら言うことないのだが、万が一、「犯人は、あなたです!」ってなことになったら、一巻の終りだ。

 まさに恩を仇で返すようなもので、万死に値するとはこのことだけど、もう死んじゃってるんだから、死んでお詫び、ってわけにもいかない。

 うまく死ねたなあ! なんて、天上でうかうか昼寝などしていられない。

 なんのためにコロしてもらったのか、わからなくなる。

 さあ、どうする!?

 いやあ、難しい! 難しい!

 どうも、いましばらくは生き恥さらして生きるしかないのかなあ。
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ロンドンの麦のおかゆ [エッセイ]

 日本最初の国語辞典「言海」についてはなにも言及しなかった(と思う)漱石が、英語辞典にふれた一文がある。

英国留学中、正岡子規主宰の「ホトトギス」に寄稿した「倫敦(ろんどん)消息」の一節だ。

『─略─例の如く「オートミール」を第一に食ふ。是は蘇格土蘭(すこっとらんど)人の常食だ。尤(もっと)もあつちでは塩を入れて食ふ。我々は砂糖を入れて食ふ。麦の御粥(おかゆ)みた様なもので我輩は大好きだ。「ジョンソン」の字引には、「オートミール」……蘇国にては人が食ひ英国にては馬が食ふものなりとある。然し今の英国人としては朝食に之を用いるのは別段例外でもない様だ。英人が馬に近くなつたんだらう』

 十八世紀中葉に出版されたこの英国最初の英語辞典を、サミュエル・ジョンソンは、貧困と持病(結核性るいれき)に苦しみながら、八年の歳月をかけて独力で完成した。

ジョンソンの伝記を読んだ作家、故中村真一郎は、「人はいかなる過酷な条件のもとでも、仕事をする者は、する」と言っている。
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猫・無駄話 [エッセイ]

 漱石&文彦&龍之介の猫

猫と聞いて、すぐ頭に浮かぶのは、夏目漱石の「吾輩は猫である」だ。

「名前はまだ無い」と登場し、ついに名無しのまま、最後はいたずらで飲んだビールに酔っぱらって、水がめに落ちて昇天した。

 後にも先にもあれくらい有名な猫はいないだろう。

 もうひとつ、猫で思い出す挿話─。

 日本最初の国語辞典『言海』の猫の語釈は、

「ねコ 猫[ねこまノ下略。寝高麗ノ義ナドニテ、韓国渡来ノモノカ。─略─。]人家ニ畜ウ小サキ獣、人ノ知ル所ナリ。温柔ニシテ慣レ易ク、又能ク鼠ヲ捕フレバ畜フ。然レドモ窃盗ノ性アリ。形、虎ニ似テ、二尺ニ足ラズ、性、睡リヲ好ミ、寒ヲ畏(おそ)ル。毛色、白、黒、黄、駁等、種々ナリ。─略─」というものだった。

 これを、漱石の弟子の芥川龍之介が面白がった。

 ─成程猫は膳の上の刺身を盗んだりするのに違ひはない。が、これおしも「窃盗ノ性アリ」と云ふならば、犬は風俗壊乱の性あり、燕は家宅侵入の性あり、蛇は脅迫の性あり、蝶は浮浪の性あり、鮫は殺人の性ありと云つても差支へない道理であらう。按ずるに「言海」の著者大槻文彦先生は少くとも鳥獣魚貝に対する誹譭の性を具へた老学者と見える。(1924=大正13=年刊『澄江堂雑記』)。

 文彦先生、これを気にされたのか、『言海』を増補した『大言海』(1932~37年刊)からは、

「然レドモ窃盗ノ性アリ」というユーモラスな1行は削られている。ニャンとも惜しい!

 大槻文彦が16年にわたる心血を注いだ『言海』の刊行は、1889~91(明治22~24)年、漱石が「猫」を書いたのは1905(明治38)年から翌年にかけてだ。

 机上には『言海』が載っていたはずだが、「ねコ」の項は見なかったのか?

 見ていたら、漱石流の鋭い諧謔が読めただろうに、これまたニャンとも惜しいことではある。
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健康雑談(7)花粉症の来歴Ⅱ [エッセイ]

 花粉症と広辞苑=2

 枯草熱は、日本の花粉症とは違って、非常に古くから知られていた。

 英国のジョン・ブロストックが、1819年に見つけた病気である。わが日本は徳川第11代将軍家斉の時代である。

 ブロストックは、スコットランドの牧草地帯の村医者だった。

 彼の診療所には、毎年、夏になると、おかしな症状─体が熱っぽく、くしゃみ、鼻水、鼻づまり、涙目など─を訴える患者が何人もやってきた。

 患者はみな農夫だった。

 ブロストックは、そうした症状が、干し草に接触すると起こることに気づいた。

 そして28の症例をまとめて、「ヘイ・フィバー(hay fever=枯草熱)」と名づけ、報告した。

 その後、研究が進み、同じような症状は、ある種の花粉やカビ類などを吸入しても起こることがわかった。

 干し草に接触して起こる症状も、原因は干し草に繁殖したカビであることがわかった。

 以来、もろもろあって、1906年、そうしたある物質に対する体の異常な過敏反応を、オーストリアの小児科医ピルケが、「アレルギー」と命名した。

 ギリシャ語の「アロス(allos=異なった)」と「エルゴ(ergo=作用)」をくっつけた造語である。

 枯草熱は「花粉熱」とか「アレルギー性鼻炎」とも呼ばれるようになった。

 1955(昭和30)年発行の『広辞苑』第一版を見てみる。

「アレルギー【Allergie】種々な物質の注射・摂取などにより体質が変化し、その物質に対し正常と異なった過敏な反応を呈するに至ること。──・せい疾患【Allergie性疾患】アレルギー現象とみなされる疾病。枯草熱・蕁麻疹(じんましん)、あるいは再度のジフテリア血清注射によって起こる血清病などの類。」

 なぜか、枯草熱の文字が出てくるのは、ここだけで、独立した見出しとして収載されるのは、第二版からである。

 むろん「花粉症」の文字は、第一版はおろか第二版にも見当たらない。

 前回、述べたように花粉症の広辞苑デビューは、1983(昭和58)年発行の第三版からで、それは第二版の「枯草熱」の説明がそっくりそのまま転載されたものであった。

 くどいようだが、もう一度引用する。

「【花粉症】春から夏にかけて或る種の花粉を吸引するためにかかる鼻炎。一種のアレルギー性疾患で、くしゃみ・喘息・結膜炎などを伴う。枯草熱。花粉熱。アレルギー性鼻炎。」

 で、枯草熱の項目を見ると、「花粉症に同じ」。

 つまり、第二版が発行された1969(昭和44)年のころ収載項目として選ばれたのは、外国産の「枯草熱」だったが、10余年の間に国産の「花粉症」の認知度がぐんと上昇して本見出しとなり、枯草熱は空見出しに格下げされた。病名の新旧交替ってわけだ。

 そもそも枯草熱のアレルゲン(アレルギーの原因となる物質)は、枯草ではない。

 科学的正確性を欠いたネーミングなので、いまは花粉症あるいはアレルギー性鼻炎と呼ぶのが普通になっている。

 枯草熱は歴史的名称として残るだろう。

 広辞苑の花粉症の説明は、1991(平成3)年発行の第四版ではさらに詳しく正確になる。

「【花粉症】ある種の花粉を吸入するためにおきるアレルギー性炎症。鼻炎・くしゃみ・喘息・結膜炎などを伴う。原因として春のスギ・ヒノキ、初夏のオオアワガエリ、秋のブタクサ・ヨモギなどの花粉が知られている。枯草熱。アレルギー性鼻炎。」

 そのうえ新たにこんな項目も加えられた。

「【花粉情報】日本気象協会の行う生活気象情報の一。スギ花粉の飛散度を四段階に分けて知らせる。」

 念のため、最新版の「第六版」(2008年発行)を開いてみると、下のように記述の微修正が行われている。

「原因として春のスギ・ヒノキ、初夏のオオアワガエリ、秋のブタクサ・ヨモギなどの花粉が知られている。」が、

「春のスギ・ヒノキ、初夏のオオアワガエリ、秋のブタクサ・ヨモギなどの花粉が原因となる。」に。

「生活気象情報の一。」が、

「生活気象情報の一つ。」に。

「スギ花粉の飛散度を四段階に分けて知らせる。」が

「スギ・ヒノキ(北海道はシラカバ)花粉の飛散度を四段階に分けて知らせる。」に。

 ところで─。

 ブロストックが、9年間かけてまとめた枯草熱の症例は、28だった。

 斎藤洋三先生が、1964年に発表した画期的論文「栃木県日光地方におけるスギ花粉症Japanese Cedar Polinosisの発見」に記載した症例は、21である。

 現在、英国のアレルギー性鼻炎患者は人口の24%。

 日本では国民の約30%が花粉症患者(その7~8割はスギ花粉症)といわれる。

 以前は成人中心の病気と考えられていたが、最近は小児の患者もふえている。2~3歳の乳幼児にさえみられるようになっている。

 国民病どころか、世界病。それがアレルギーといえる。

 2001年、東京で開かれたアレルギー性鼻炎の国際シンポジウムに先だつ記者会見の席上、ヨハンセン・国際アレルギー学会前会長は、言った。

「不思議なことに、ベルリンの壁が崩壊したとたん、それまでは患者がごく少なかった東ドイツでもアレルギーが激増しています。共産主義がアレルギーを防ぐのに効くとは思えないのですが」。笑った。

 もう一度、ところで─。

 昔は、春になると、「春季カタル」という病気の名をよく聞いた。

「青少年に多く、春から夏に増悪する型のアレルギー性結膜炎。かゆみがはげしく、角膜にも障害を起こすことがある」(『最新医学全書』=小学館・中山書店発行)

 いまはほとんど聞かれなくなった。

 なぜか?

 昔の春季カタルには花粉症が混じっていたのではないだろうか。

 そして今の花粉症には春季カタルが混じっているのではないだろうか。

 素人の浅見だが─。
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健康雑談(6)花粉症の来歴Ⅰ [エッセイ]

 花粉症と広辞苑=1

 広辞苑ひもとき見るに スモッグといふ語なかりき 入るべきものを

『広辞苑』の編者、新村出博士の偶詠である。

 なるほど、1955(昭和30)年発行の『広辞苑』第一版には「スモッグ」という項目はない。

 博士没後2年目の1969(昭和44)年発行の第二版にはある。

 同様の例は「神経症」「夏ばて」「突き指」など、けっこう多い。

「ストレス」も、ない。

 いや、「ストレス」という項目はあるのだが、その語義は「①語勢。強勢。アクセント。②内力。」の1行だけ─。

 現在、最も普通につかわれている「ストレス」の説明が、

「③[医]カナダの生理・病理学者ハンス・セリエが医学に導入した言葉。寒冷・外傷・疾病・精神的緊張などが原因(ストレス作因・ストレッサー)になって、体内で起こる一連の非特異的な防御反応─以下略」として加わるのは、第二版からである。

 では、「花粉症」はといえば、第一版はもとより第二版にも見当たらない。

 それも道理、そのころ日本には「花粉症」は存在しないと考えられていた。

 日本で最初に見つかった花粉症は、1960(昭和55)年、東京大学の荒木英斉医師によるブタクサ花粉症である。

 ついで1963(昭和58)年、東京医科歯科大の斎藤洋三医師が、スギ花粉症を発見した。

 当時、同大・耳鼻咽喉科の医局員だった斎藤医師(のち助教授)は、栃木県日光市の古河電工日光病院に出向していた。

 3月から4月にかけて、眼の結膜炎を伴う鼻炎を訴えて来院する患者がとても多いことに気づき、その原因が、日光街道の杉並木が飛ばす花粉であることを突き止めた。

 だが当時の全国的な患者数はまだ微々たるものだった。それが急にふえ始めたのが、70年代末から80年代初めである。

 関東地方では1976年、79年、82年とスギ花粉の大量飛散、患者の大量発症があり、社会問題となった。

 で、1983(昭和58)年発行の『広辞苑』第三版にようやく「花粉症」という項目がデビューした。その語釈は、

「春から夏にかけて或る種の花粉を吸引するためにかかる鼻炎。一種のアレルギー性疾患で、くしゃみ・喘息・結膜炎などを伴う。枯草熱。花粉熱。アレルギー性鼻炎。」というものである。

 しかし、これ、じつは第二版収載の「枯草熱」の解説がそっくりそのまま引っ越してきたものなのである。

「こそうねつ【枯草熱】(hay fever)春から夏にかけて或る種の花粉を吸引するためにかかる鼻炎。一種のアレルギー性疾患で、くしゃみ・喘息・結膜炎などを伴う。」
 
 ね、一字一句、違わないでしょう。末尾に「枯草熱。花粉熱。アレルギー性鼻炎。」がつけ足されただけである。

 では、第三版の「枯草熱」は? と見ると、そこにはただひとこと。「花粉症に同じ」。

 枯草熱とはなにか? 話のつづきは来週─。
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おれの耳は「龍の耳」 [エッセイ]

 「今夜はだれと会えるかな?」

 寝床の中の眠りかけにふとそう思うことがある。この世ではもう会えない祖母、両親、恩師、久しくご無沙汰の先輩、友人、懐かしい人たちとの思いがけぬ再会…。夢のなかには貧乏な引っ込み思案の年寄りとは別人の快活な自分がいて、談笑したり、突拍子もないふるまいをしでかしたり、そして、ちゃんと聴こえている。

 夢からさめて、そのことに気づいたときはなんだかちょっとうれしい。

 夢のなかでもまるで聴こえず、何度も「えっ? えっ?」と聞き返したり、「書いてくれる」とメモ帳とボールペンを差し出したりするときは、眠りが浅く、夢とうつつの境目がごっちゃになった感じで、目覚めの気分もよくない。

   

 21年前にまず右耳がこわれた。60歳だった。

 肝臓を3分の1、切除する手術を受けたあとの全身麻酔から醒めるなり、なんともすさまじい痛みに襲われて、呻きつづけた。その激烈なストレスが原因だったのだろうか。
 退院して数日たったころ、右耳の聴こえがおかしいことに気づき、耳鼻咽喉科を受診、「重度感音難聴」と診断された。

 以来14年、左耳だけで暮らしてきた。

 片耳難聴だと、そちら側(私だと右側)にいる人の言葉が聞きとりにくかったり、音のくる方角がわからなかったり、多少不便ではあるが、さほど支障は感じなかった。


 ところが、2006年、左耳もこわれた。

 5月半ばの朝、目が覚めたら左耳がボァーンと詰まっていた。飛行機に乗ったときに生じる耳閉感に似ている。
 家の近くの耳鼻咽喉科医院を訪ねて、耳管に空気を送り閉塞をとりのぞく通気治療をやってもらったが、効果なし。「大きい病院へ─」と言われた。

 翌日、妻に付き添われて、都心の耳鼻咽喉科専門病院を受診したときは、もうほとんど何も聴こえなくなっていた。

 医師が質問を机上の紙に記し、こちらは口で答える片側筆談による問診、聴力検査、頭部X線検査その他の結果、「急性感音難聴」と診断された。

「突発性難聴とはどう違うのですか」と聞いたら「ほぼ同じ」、「原因はなんでしょう」には首をひねり「? ? ?」、疑問符が三つ、横並びに記された。

 早速、その日から治療が始まった。
 ベッドに仰臥し、片腕のシャツをまくって点滴注射を受けながら、鼻と口にかぶせた酸素マスクから「混合ガス」を吸入する。

 純酸素+二酸化炭素五%の混合ガスは、脳へいく血管を広げて内耳の血流をふやし、点滴のグリセオール(利尿薬)とかプレドニン(副腎皮質ホルモン薬)といった薬もやはり脳の血流を改善し、内耳の神経障害を修復するということだった。

 1日1回約60分、連続12日間(土・日も通院)のワンクール終了後は、同じ治療を隔週土曜日に行い、併せて脳循環代謝改善薬のアデホスとケタス、メチコバール(ビタミンB12錠剤)の服用を7月末まで続けた。

 だが聴力の回復はならず、ほとんど全聾に近い両耳の「重度感音難聴」が完成した。




 ─そして補聴器生活が始まって、まずなによりもうれしかったのは、自分の声が聴こえるようになったことだ。

 人が口から言葉を発するときは、自分の耳でもその言葉を聞いている。失聴状態だと、口から出た言葉がそのままふわふわ空中に消えていくようだった。

 自分の声が聴こえないので、声量のコントロールができない。病院の待合室や電車の中などで、声を抑えるようにと妻に手まねで制されることが何度もあった。

 補聴器をつけて自分の声が耳から入ってきたときのよろこびを一言でいえば、「言葉が戻った!」であった。



 補聴器にはいろいろ多くの機種がある。

 病院の紹介で訪ねた補聴器専門店で、認定補聴器技能者のTさんが選んだ二つか三つの機種を試し聴きしたあと、重度難聴用ポケット型補聴器のイヤホンを耳にはめてコードを伸ばし、机を隔てたTさんの口元に本体を近づけると、「あ~あ~」というTさんの声が他の機種よりも耳に強くひびいた。「あ、よく聴こえる。これにします」。

 ありがたいことにそれはデジタル式耳あな型補聴器などに比べると格段に安価だった。


「おれの耳は安いなあ」と言って笑った。

 しかし、声が聴こえることと、言葉が聞き分けられることとは、全然同じではなかった。

「話す人の口元20㌢ぐらいで、普通の声の大きさで、ゆっくり、はっきり、話していただくと、だいたい半分は理解できます」

 そう教えてくれたTさんの言葉はすべてよく聴き取れたが、それはいつも難聴者を相手にしている専門家だからで、たぶん発声法が違うのだろう。ほかの人のばあい、なかなかそんなふうにはいかない。

 たとえば─、

 元日の朝、ウォーキング仲間のおくさんたちと近くの臨海公園に初日の出を拝みに行った妻が、「おじさんが見えたわよ」と言う。夫妻同伴のペアもあったのだろうが、「おじさん」はひどいよと言ったら、「富士山が見えた」だった。

 かかりつけ医のH先生に、長寿健診の結果を聞きに行ったら、「運動をしっかり」とおっしゃる。
「はい。毎日1時間歩いてます。そのうちざっと500㍍は後ろ歩きです」

 得意顔で答えたところ、「えっ?」とけげんな表情を浮かべ、笑って、ホワイトボードに「うどん、おいしかった」と書いた。

 しばらく前に名古屋の友人から「みそ煮込みうどん」をたくさん送ってもらったので、妻が少しばかりおすそ分けした。そのお礼を言われたのだった。
「ロシアは最近よく日本の女性をアホするわね」という意味不明の発言を二度、三度聞き返し、「女性」が「漁船」で、「アホする」が「拿捕する」だとわかる。
 花→穴、食事した→即死した、向学心→工学士、勉強→米朝、樹木希林→息切れる、椿山荘の催し→死んだ人の催し(左が正→右が誤)。  その都度、面白がってメモした聴き違いには、子音や拗音や撥音が消えたり、濁音が混合したり、なにか法則みたいなものが類推できるようだったが、「小林秀雄」がなぜ「こごえ死んじゃう」に聴こえたのか。「発音がおかしいんじゃないのか」とクレームをつけて、モメたりした。

 何度聴き返しても正解に辿りつけないときは手持ちボードに記したり、複雑な話は最初から紙に書いたり、私の聾後、妻は文字を書く機会が断然ふえた。それはもしかしたら認知症予防にも役立っているのではないだろうか? 夫、聾すれば、妻、ボケず!?

 ともあれ、「あなたの難聴には補聴器の効果はあまり期待できません」と言った主治医の告知はまったく正しかった。

 言うまでもなく、電話もラジオも聴くことができない、
   *

 かくて老聾の身をかこつこと七年有余─。

 小学1年生が中学2年生になる歳月を経たわけだが、私の耳はずっと一年坊主のままで、語音聴力検査というのを受けると、「ア」と「イ」の聴き分けも覚束ない。
 それは最初からそうなので、ならば読唇術とか手話とか、学習意欲のある人だったらなにかしら習得する時間は十分あったはずなのに、なにもしなかった。
 そして、すっかり出不精になった。人と会ってもあまり楽しくないからだ。人と会っても、話が聞けない、談笑の輪に入れない、楽しいわけがない。

 人の話を聞くことができなくなって、いまさらのように人と人とは言葉でつながっているものであると思い知り、人とのつながりを失った人間は、生きている意味がないように思われた。

 コンクリート長屋の4階の部屋から外へ出るのは1日1回、目の前に見える荒川の堤防上の道を小一時間歩くときだけ。ほとんど閉じこもり同然の生活である。
 世間がぐんと狭くなった。いや、世間がなくなった。これじゃ半分死んでいるようなものではないか。
 では、どうする? どうすべきか? トゥビー オア ノット トゥ ビー 八十爺さんのハムレットもどきはいかにも未熟、コッケイでさえあるかもしれないが、当人はけっこう深刻、朝晩の寝床の中などで悶々と思い悩んだ挙句、こう思うことにした。

 せっかく傘寿と呼ばれる年まで生きたのである。せっかく聾というめったに得られぬ体験に恵まれたのである。聾を嘆かず、楽しむことにしよう。
「失った機能を惜しみ、悲しむのではなく、残っている機能をいかに活かすか、それがリハビリの根本精神なのです」とリハビリテーションの専門医は言っている。

 聾を嘆くあまり、私は聾が与えてくれた大きなメリットを一つ、忘れていた。騒音からの解放である。
 身近な例でいえば、以前は、妻の台所仕事などの音で朝寝や昼寝の安眠を妨げられることがままあった。いまや、まな板のトントンどころか、近所に雷が落ちようが、選挙カーがやって来ようが、どこ吹く風である。

「よく眠っていられるわね」

「おれさまの耳は龍の耳だからな。俗界の雑音なんぞにはピクともしないのさ」
 さて─、

 あとどれくらい、こんな老聾介護の二人三脚を続けていけるだろうか。

 それはわからないが、いまはただ、この小さな暮しをいとおしみつつ静かに生きていきたい。そう願っている。

 ときどき、面白い夢をみたりしながら……。

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啄木の水 志ん生の水 [エッセイ]

 明治34年春、盛岡の中学校を卒業して仙台の高等学校に入学することになった金田一京助を送る短歌会が、同窓の文学青年10名ほどで開かれた。

 後年『銭形平次捕物控』の作家となる1年下級生の野村長一(胡堂)や、2年下の石川一(啄木)もそのなかにいた。

 席題は「藤10首、水10首」だったが、互選のさい、みんなの笑いを誘った歌があった。だれもが回ってきたその歌を読むなり、「くすりと笑い、はては、畳の上へ引っくり返って腹のそこからあはあは」と笑った。

 あめつちの酸素の神の恋成りて 水素は終(つい)に水となりにけり

「その歌の主は実に石川君だった」と、金田一京助が著書『石川啄木』に書いている。

 水は、「泉からわき川を流れ海にたたえられたり、雨となって降って来たりする、冷たい液体。化学的には水素と酸素の化合物としてとらえられる。き れいなものは無色透明で飲料に適し、生物の生存に不可欠」と、金田一京助の名が編者の筆頭に挙げられた『新明解国語辞典』には、ある。

「水は副作用のないすばらしい万能薬だ」とは、シモン・バルークという米国の生理学者の言葉。鎮静剤、解熱剤、利尿剤、強壮剤、催眠剤として、おだやかで確かな効果が水にはあると言っている。

 朝、起きぬけに水を飲めば、①目覚めがよくなる。②食欲が出る。③便通を促す。④水の味で体調がわかる(健康状態がよければ水がうまく、体になにか異常があるときは水がうまくない)など、いろいろ効果がある。  1日3回、コップ1杯の水を飲みほす「水飲み健康法」を勧めるのは、川畑愛義・京都大学名誉教授。水には精神の鎮静作用があるから、イライラしたときなど水をゆっくりと飲めば気持ちのたかぶりが静まる。

 昭和の名人、古今亭志ん生がひどい貧乏暮らしをしていたころ、家族のだれかが風邪かなにかで寝込んでしまった。医者を呼ぶどころか売薬を買う金もない。閉口した志ん生は言ったそうだ
   
「水でも飲んでみな。病気もちったぁ薄まるだろ」
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最後の大問題 [エッセイ]

 体の具合が悪いとき、すぐ医者に行く人と、なかなか行こうとしない人がある(当方もその一人だ)。

 風邪ぐらいだったら大抵それで大丈夫だ。

 問題は、おかしな症状がえんえんと続くときだ。

 ぐずぐず思い惑っているうちに病気が進んでしまうことがある。

 ある病気の自覚症状が出始めてから、医療機関を受診するまでを「病悩期間」というが、むろんこれは短いほどよい。

 早く見つけて早く治すのが、医療の原則だ。

 しかし人間も生きものだから、必ず命尽きる日が来る。

 それにどう対するか。

 人生最後の大問題だ。

 こんな話を聞いた。

 ある精神科の老大家の健康状態がすぐれない。

 家族や弟子たちが診療を受けるよう勧めたが、

「まぁ、もうトシだからね。あちこち悪くもなるさ。放っとけばそのうち治るだろう」。

 だが、かえってひどくなるばかり......。

 どうか病院へ──とお願いしたら、先生、

「いや、いいよ、放っとけばそのうち死ぬだろう」。

 人間の器が違うのは百も承知だが、願わくばそんなふうに達観して逝きたいものだ。

 ──というところで、いま、ふと浮かんだパロディ......。

 ♪この世と、あの世のあいだには

 暗くて広い川がある

 だれでも渡れる川なれど

 エンヤコリャ あわてて舟こぐな

 スロー エンド スロー

 スロー エンド スロー 

 ゆっくりと行け 

 スロー スロー

 ──いや、ちっとも面白くないなあ。

 どなたか、直してくだされ。

 人はみな不思議の国から生まれきて 不思議の国へおさらばさらば 工藤直太郎
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カタカナ医学用語のおベンキョー [エッセイ]

 1990年代の初め、米NIH(国立衛生研究所)の学術用語委員会は、専門家や一般の識者などの意見も聞いたコンセンサス・カンファレンスの結果、

「インポテンス」という用語を使うのはやめよう。

「Erectile dysfuntion(エレクタイル・ディスファンクション=勃起障害)略してE・D」にしよう─と提言した。

 インポテンスに含まれる侮蔑的なニュアンスが、学術用語にはふさわしくないという理由だった。

 以来、医学論文にはインポテンスないしインポテンツは全く使用されなくなった。

 日本でも1995年、「日本インポテンス学会」は、「日本性機能学会」と改名した。

 そして1998年、バイアグラ発売に伴う大々的宣伝の結果、いまでは世間一般ももっぱら「ED」で通っている。「インポ」は死語になりつつある。

 手元の医学辞典2冊を見比べてみると、一つは「インポテンス」、もう一つは「インポテンツ」という見出し語になっている。

 インポテンツはドイツ語で、インポテンスは英語。どちらも間違いではない。

 似た例はほかにもいろいろある。

 手っ取り早いところで、この欄のタイトルの肉太の文字は、英語ではゴシック、独語ではゴチックだ。

 出版印刷業界の人はゴチと略したりするが、ゴシとは略さない。

 インポテンスの関連器官は、英語も独語もスペルは同じpenisだが、英米人はピーニス(またはペニス)、ドイツ人はペニスと発音する。

 口内炎もスペルは同じaphthaで、アフサ(英)、アフタ(独)と語尾音が異なる。

 polypは、ポリップ(英)、ポリープ(独)。

 virusは、英語はヴァイラス、独語はヴィールスまたはウイルス。

 日本のポリープ、ビールス、ウイルスはドイツ流なのだ。

 虫垂(appendix)は、アペンディクス(英)にアッペンディクス(独)。

 手術(operation)は、オペレーション(英)にオペラチオン(独)。

 で、お医者さんたちは、「アッペのオペみたいに簡単だ」てなことをおっしゃる。

 医学界ではドイツ語がまだだいぶ健在だ。

 カルテは、日本の現代医学が、ドイツ医学によって開かれたことのゆるがぬ証拠だろう。

 いうまでもなくカルテは、英語のカード、ポルトガル語のカルタ、フランス語のカルトなどと同義語だが、日本語ではそれぞれ別の意味で使われている。

 カルテは診療記録。カードは小形長方形の厚紙。カルタは遊戯・ばくち用具(いろはガルタなど)。カルトはアラカルト(一品料理)といったふうに。

 つまり、まずポルトガルから遊戯を、次にドイツから医学を、英米からビジネスを、フランスからは料理を輸入し、学んだというわけだ。

 似ている例にドイツ語のIdee(イデー)と英語のidea(アイデア)がある。

 元をたどればどちらもギリシャ語のイデアに行きつく同義語だ。

 が、日本語では、イデーは理念、観念などと訳される哲学用語で、アイデアは、考案、思いつき、着想などの意味で用いられている。

 もっとも、ある哲学者の文に「プラトンのアイデア」とあるのは観念の意味だろう。

 アイデアリズムという英語は、理想主義または観念論と訳される哲学用語だそうだ。

 昔、がんは治せず、末期には体の外から手で触れてもわかるほど硬く腫(は)れた。

 岩のような肉の塊だったから「癌(がん)」という字が作られた。

 やまいだれの中の嵒(がん)は岩の正字。「岩は俗字」と漢和辞典にはある。
 英語のcancer(キャンサー)やドイツ語のKrebs(クレブス)も同じように末期がんの形態をイメージ化した語で、どちらもカニのことだ。

 がんの告知がいまのように一般的でなかったころ、医師たちは患者にわからないように「キャンサー」とか「クレブス」という語を使っていた。

 しかしそれが患者のほうにも知られてしまったので、今は別の語が使われている。

 なんという語か、知りたい人はコメントをください(笑) 

「癌腫 腫物(はれもの)ノ一種。略シテ、癌トノミモ云(い)ウ。体中、処処ニ発シテ、極メテ治シ難シトス、多クハ、上流ノ人ニ多シ。」と、昭和7年発行の『大言海』にはある。

「上流ノ人ニ多シ」というのがおもしろい。

 つまり当時は「上流ノ人」ででもないと、がんができるまで長生きはできなかったのだろう。

 いま、がんは国民の2人に1人はかかる。早く見つけて適切な治療をすれば治る。

 その実態は「嵒」でも「カニ」でもない。
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薪をはこべ [エッセイ]

未曾有の厄災を重たく引きずりながら年がくれようとしている。

 少し前の企業情報誌に寄稿した拙文(原題は「秋から冬へ、シニアの備え」)をここに再録したい。

 秋です。

 ことしはひとしお秋風が身にしみるようです。

 秋が来ると、思い出す詩があります。

 三好達治の『汝(なれ)の薪(まき)をはこべ』という詩です。

春逝き

夏去り

今は秋 その秋の

はやく半ばを過ぎたるかな

 ──と、はじまり、

薪をはこべ

ああ汝

汝の薪をはこべ

 ─略─

いまはや冬の日はまぢかに逼(せま)れり

 ──と、つづき、

やがて雪ふらむ

汝の国に雪ふらむ

きびしき冬の日のためには

炉(ろ)をきれ

竈(かまど)をきづけ

孤独なる 孤独なる 汝の住居を用意せよ ─略─

汝の薪をとりいれよ

ああ汝

汝の冬の用意をせよ

 ──と、結ばれるやや長い詩です。

 いまなお30万人を超える人が避難生活を続ける、北の被災地に雪ふる冬が迫っています。

「どじょう内閣」よ、薪をはこべ、冬の用意をせよ、北の地へ、薪をはこべ。

   *

 ……冬への備え、みなさまも、しっかりなさってください。 

冬の病気といえば、まず風邪、インフルエンザ、そして肺炎(これが最大の難敵)です。 

肺炎は、日本人の三大死因といわれた、がん、心臓病、脳卒中に次ぐ4位でしたが、2012年に脳卒中を追い抜き、第3位になりました。

 肺炎で亡くなる人の95%は高齢者で、超高齢者の死因を見ると、がんよりも、心臓病と肺炎のほうが多く、百歳以上では優にがんの3倍を超えています。 

百寿達成を目指すなら、心臓と肺に気をつけなければいけません。

 肺炎は、細菌やウイルスによる肺の炎症で、元気な人が風邪をこじらせたりしてなる「市中肺炎」と、入院治療中の人が合併症として起こす「院内肺炎」があり、高齢者では気管や肺の中に異物が入り込む「誤嚥(ごえん)性肺炎」も、かなり多くみられます。

 市中肺炎の原因となる病原体は、肺炎球菌、インフルエンザウイルス、レジオネラ菌……など十指に余るほどですが、ダントツに多いのが、肺炎球菌です。

 しかし、これは肺炎球菌ワクチンの接種で防ぐことができます。

 日本呼吸器学会は、65歳以上の人、糖尿病、COPD(慢性閉塞性肺疾患)、ぜんそくなどをもっている人は年齢に関係なく、肺炎球菌ワクチンの接種(1回接種で5年以上効果持続)を ──と、勧めています。

 2009年に発足した「肺炎予防推進プロジェクト」は、「肺炎で死にかけた」という俳優の中尾彬さんが「肺炎予防大使」となり、65歳以上の肺炎予防の重要性と予防法の啓発活動を展開してきました。
 
結果、活動前と比べて、肺炎球菌ワクチンの接種者数は約2倍に増加したそうです。

 でも全国平均の推定接種率はまだ約12%でしかないのが現状です。 

本年からは、加賀まりこさんを新肺炎予防大使に迎え、シニアのライフスタイルをより積極的にサポートする「シニアの備え」普及運動を進めています。

 先ごろ行われた記者発表の就任式で、加賀さんは、

「私は女優という職業柄、からだのメンテナンスには人一倍気を使ってきましたが、中尾さんの肺炎体験談を聞くまで肺炎球菌ワクチンの存在は全く知りませんでした。 

知らないのはもったいないことだと思います。

 早速私もワクチンを接種しましたが、今後、肺炎予防大使として、肺炎予防の重要性と肺炎球菌ワクチンを認知してもらえるよう頑張っていきたいと思います」と話しました。

   *

 シニアと同じように肺炎予防の重要性が高いのは、乳幼児です。

 乳幼児を襲う「細菌性髄膜炎」は、発症すると、約3割が死亡または後遺症を負う怖い病気です。

 細菌性髄膜炎の主な原因菌は、インフルエンザ菌b型(ヒブ)と肺炎球菌です。

 ヒブワクチンと小児用肺炎球菌ワクチンで予防できます。

 接種は生後2カ月から受けられます。

 小児科医などで作る『「VPD(ワクチンで防げる病気)を知って、子どもを守ろう。」の会』によると、小児の予防接種のポイントは、「受けられる時期がきたらすぐ受ける」ことです。

 優先すべきは、ヒブ、肺炎球菌の2種と、三種混合(ジフテリア+破傷風+百日ぜき)、そして感染力の強い胃腸炎を起こすロタウイルスのワクチン接種といわれます。

 ぜひ早めに小児科の先生にご相談なさってください。

(『絆』vol31掲載「平成養生訓30:秋から冬へ シニアの備え」=株式会社心美寿有夢発行より)



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