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スギ花粉症の半世紀 [医学・医療短信]

スギ花粉症研究の今昔ー発見から50余年

 無名の存在から国民病に

 近年、"国民病"としてすっかり定着してしまった感があるスギ花粉症。

しかし今から50数年前の日本では、まったく無名の存在であった。

長年、スギ花粉症の疫学研究に携わり、同疾患の研究における一大事業といえる「スギ花粉症克服に向けた総合研究(総合研究)」(科学技術振興調整費)で主体的役割を果たした遠藤耳鼻咽喉科・アレルギークリニック(東京都)院長の遠藤朝彦氏に、長年にわたるスギ花粉症研究の歴史、特に意義深いトピックなどを振り返ってもらった。

始まりは栃木県日光市

 日本における最初のスギ花粉症患者は、1964年、当時東京医科歯科大学耳鼻咽喉科学教室に所属していた斎藤洋三氏〔現・神尾記念病院(東京都)顧問〕らが発表した論文(アレルギー 1964; 13: 16-18)で報告された。

 同論文では、栃木県日光市にあった古河電工日光電気精銅所病院の受診者の中に、春季に鼻腔、咽頭および眼結膜のアレルギー症状を呈するスギ花粉症患者が見られたとしている。

 遠藤氏は、

「当時、アレルギー研究者の多くは通年性アレルギー疾患に注目していた。

 そのため、この報告を受けても、"日本にスギ花粉症患者などほとんどいないのではないか"という反応が大半であった」と振り返る。

大気汚染なども発症者の急増に寄与

 だが大方の見解に反し、スギ花粉症は1960年代後半に増加し始め、1970年代後半~80年代に急増した。

 東京慈恵会医科大学では、1972年にアレルギー性鼻炎を対象とした疫学調査を開始。

同大学耳鼻咽喉科学教室に所属していた遠藤氏も調査に参画し、全国で行われた集団検診に従事した。

 同氏は、「1970年代に行った学校の集団検診では、多くの子供で鼻の穴が真っ黒だったことが印象に残っている。

 当時は、浮遊粒子状物質や二酸化硫黄などの大気汚染物質に対する規制があまり進んでいなかったためだろう」と語る。

 スギ花粉症の急増には、花粉そのものだけではなく、工場などから大量に排出されていた大気汚染物質も大きく寄与していた。

 同氏は「大気汚染物質は鼻粘膜の障害を引き起こし、スギ花粉などのアレルゲンが粘膜内に侵入しやすくなる要因となった」と説明する。

 その根拠として、大気汚染や生活環境などが改善された近年、スギ花粉症の増加ペースはほぼ一定になっているという。

多士済々、エポックメーキングな総合研究

 患者の増加に伴い深刻化していく花粉症の問題に対し、1995~2003年、科学技術庁(当時)は科学技術振興調整費による総合研究を実施。

 遠藤氏はこの研究に総合推進委員、研究実施担当者として主体的に関わった。

 総合研究のテーマは、スギ花粉症のメカニズムや予防、治療法からスギ花粉の飛散予報、抑制技術、曝露回避まで多岐にわたった。

 同氏は前述した大気汚染など、スギ花粉症の発症に影響する修飾因子に関する臨床疫学的研究や、空中のスギ花粉量と症状との関連性を探る研究などに注力。

「日本アレルギー協会理事長の宮本昭正氏をはじめ、医学、気象学、植物学など、実に多彩な領域の専門家が携わっていた。

 日本のスギ花粉症診療、対策におけるエポックメーキング的な事業だった」と総合研究を評価した。

 総合研究の成果はその後、リアルタイムで花粉飛散情報を提供するシステムの構築やアレルゲン免疫療法、マスクをはじめとする花粉対策製品の開発、スギ雄花の花芽抑制技術、アレルゲンフリーのスギ作出技術の確立などに大きく貢献したという。

 求められる次世代のリーダー

 遠藤氏は、今後の花粉症研究における課題として、研究者の高齢化を問題視し、

「国や行政に花粉症研究の重要性を説明し、理解してもらえるよう働きかけるリーダーシップを持った若手研究者の登場が期待される」と述べた。

 現在、花粉症の研究はアレルゲン免疫療法や花粉症緩和米、治療米の開発など新たなフィールドへと広がっている。

連綿と続いてきたその歩みを止めないためにも、人材育成は喫緊の課題といえる。(陶山慎晃)

「Medical Tribune」2018年04月12日 配信
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