「ふぐは食いたし命は惜しし」の来歴 [健康常識ウソ・ホント]
健康常識ウソ・ホント(31)
「ふぐは食いたし命は惜しし」の来歴
あら何ともなや 昨日は過ぎて 河豚汁(ふくとじる) 松尾芭蕉
河豚汁(ふぐじる)の われ生きている 寝覚(ねざめ)かな 与謝蕪村
河豚汁は、ふぐの肉を実に入れたみそ汁。
江戸時代のふぐ料理はほとんどこれだったという。芭蕉も蕪村も、ふぐ刺し(テッサ)やふぐちり(テッチリ)、ふぐの空揚げの味は知らなかったわけだ。
調理法も限られ、調理の管理もきわめて不十分。
当たると命にかかわるから「鉄砲」と恐れられたご禁制の魚だったが、その美味はよく知られ、広くひそかに食されていた。
「五十にて鰒(ふぐ)の味知る一夜かな」の作者、小林一茶は、50歳になるまではおっかながって口にしなかったようだが、いったんその味を知るや、
「鰒(ふぐ)食はぬ奴には見せな不二の山」と豹変している。
明治の世になっても、命がけの一面は変わらなかったので、
夏目漱石は、「嘘(うそ)」を河豚汁にたとえて、
「その場限りで祟(たた)りがなければこれほど旨(うま)いものはない。しかし、中毒(あたっ)たが最後苦しい血も吐かねばならぬ」といっている。(小説『虞美人草』)
フグの毒は、肝臓と皮の裏の粘膜、そして、卵巣に最も多い。フグでさえやはりメスのほうが毒を余分にもってるわけだ(へへへ…)。
フグ毒の本体は、明治42(1909)年、東京衛生試験所の田原良純博士によって明らかにされた。
フグの学名テトロドンと毒のトキシンをくっつけて、その毒素を「テトロドトキシン」と名づけたのも同博士である。
テトロドトキシンは、無色・無味・無臭、その毒性は青酸カリの200倍とも500倍とも、あるいは850倍ともいわれる、すさまじい猛毒だ。
一種の神経毒で、もし当たると、早くて30分、遅くても5時間で手足がしびれ、口がきけなくなり、最後は息ができなくなって、死ぬ。
「ふぐ(河豚・鰒)は食いたし命は惜しし」
このことわざの意味を、『広辞苑』は、
「おいしい河豚料理は食いたいが、中毒の危険があるので食うことをためらう。転じて、やりたいことがあるのに、危険が伴うので決行をためらう。」と注釈している。
前記のように、別名の「テッポウ(鉄砲)」や「テッサ(鉄砲刺し」「テッチリ(鉄砲ちり鍋)は、当たると命がないという洒落である。
「うまいけどこわい!」、「こわいけど、うまい! 食いたい!」。
この切実なダブルバイント(二重規範)ゆえに、「河豚食う無分別、河豚食わぬ無分別」といわれる。
「あら何ともなや─」の芭蕉の句や「われ生きている─」の蕪村の句には、
理性は「食うな!」と命じ、心情は「食いてぇよ!」と訴える、アンビバレンス(反対感情両立)的苦悩に折り合いをつけて舌つづみを打った一夜が明けて、
「ああ、よかった!」と喜ぶ心があふれているようだ。
「鰒汁(ふぐじる)に又(また)本草(ほんぞう)のはなしかな」という宝井其角の句は、その美味を賞味しながらも、つい解毒法の話になってしまう情景を詠んだものだろう。
「本草」とはいうまでもなく薬物学のこと。
残念ながらテトロドトキシンの解毒剤はいまだにできてない。
だいぶ以前に東大農学部のグループが、テトロドトキシンの抗体を開発したと聞いたことがあるが、あれはどうなったのだろう。
いま、ネットで検索してみたが、まだ実用化はされてないようだ。
いまも年間20~30件のフグ中毒が発生し、死者も出ている。
もっとも、そのほとんどは素人料理か無免許の料理人の手によるもので、プロ(ふぐ調理師)が調理したものなら心配無用。
なお、フグの皮に多いコラーゲンには、血中コレステロールを下げる作用があるというが、フグ料理屋の勘定書はしばしば血圧を上昇させる。
「ふぐは食いたし、財布は軽し」「カネもないのにふぐ食う無分別」である。
「ふぐは食いたし命は惜しし」の来歴
あら何ともなや 昨日は過ぎて 河豚汁(ふくとじる) 松尾芭蕉
河豚汁(ふぐじる)の われ生きている 寝覚(ねざめ)かな 与謝蕪村
河豚汁は、ふぐの肉を実に入れたみそ汁。
江戸時代のふぐ料理はほとんどこれだったという。芭蕉も蕪村も、ふぐ刺し(テッサ)やふぐちり(テッチリ)、ふぐの空揚げの味は知らなかったわけだ。
調理法も限られ、調理の管理もきわめて不十分。
当たると命にかかわるから「鉄砲」と恐れられたご禁制の魚だったが、その美味はよく知られ、広くひそかに食されていた。
「五十にて鰒(ふぐ)の味知る一夜かな」の作者、小林一茶は、50歳になるまではおっかながって口にしなかったようだが、いったんその味を知るや、
「鰒(ふぐ)食はぬ奴には見せな不二の山」と豹変している。
明治の世になっても、命がけの一面は変わらなかったので、
夏目漱石は、「嘘(うそ)」を河豚汁にたとえて、
「その場限りで祟(たた)りがなければこれほど旨(うま)いものはない。しかし、中毒(あたっ)たが最後苦しい血も吐かねばならぬ」といっている。(小説『虞美人草』)
フグの毒は、肝臓と皮の裏の粘膜、そして、卵巣に最も多い。フグでさえやはりメスのほうが毒を余分にもってるわけだ(へへへ…)。
フグ毒の本体は、明治42(1909)年、東京衛生試験所の田原良純博士によって明らかにされた。
フグの学名テトロドンと毒のトキシンをくっつけて、その毒素を「テトロドトキシン」と名づけたのも同博士である。
テトロドトキシンは、無色・無味・無臭、その毒性は青酸カリの200倍とも500倍とも、あるいは850倍ともいわれる、すさまじい猛毒だ。
一種の神経毒で、もし当たると、早くて30分、遅くても5時間で手足がしびれ、口がきけなくなり、最後は息ができなくなって、死ぬ。
「ふぐ(河豚・鰒)は食いたし命は惜しし」
このことわざの意味を、『広辞苑』は、
「おいしい河豚料理は食いたいが、中毒の危険があるので食うことをためらう。転じて、やりたいことがあるのに、危険が伴うので決行をためらう。」と注釈している。
前記のように、別名の「テッポウ(鉄砲)」や「テッサ(鉄砲刺し」「テッチリ(鉄砲ちり鍋)は、当たると命がないという洒落である。
「うまいけどこわい!」、「こわいけど、うまい! 食いたい!」。
この切実なダブルバイント(二重規範)ゆえに、「河豚食う無分別、河豚食わぬ無分別」といわれる。
「あら何ともなや─」の芭蕉の句や「われ生きている─」の蕪村の句には、
理性は「食うな!」と命じ、心情は「食いてぇよ!」と訴える、アンビバレンス(反対感情両立)的苦悩に折り合いをつけて舌つづみを打った一夜が明けて、
「ああ、よかった!」と喜ぶ心があふれているようだ。
「鰒汁(ふぐじる)に又(また)本草(ほんぞう)のはなしかな」という宝井其角の句は、その美味を賞味しながらも、つい解毒法の話になってしまう情景を詠んだものだろう。
「本草」とはいうまでもなく薬物学のこと。
残念ながらテトロドトキシンの解毒剤はいまだにできてない。
だいぶ以前に東大農学部のグループが、テトロドトキシンの抗体を開発したと聞いたことがあるが、あれはどうなったのだろう。
いま、ネットで検索してみたが、まだ実用化はされてないようだ。
いまも年間20~30件のフグ中毒が発生し、死者も出ている。
もっとも、そのほとんどは素人料理か無免許の料理人の手によるもので、プロ(ふぐ調理師)が調理したものなら心配無用。
なお、フグの皮に多いコラーゲンには、血中コレステロールを下げる作用があるというが、フグ料理屋の勘定書はしばしば血圧を上昇させる。
「ふぐは食いたし、財布は軽し」「カネもないのにふぐ食う無分別」である。
2016-03-25 11:28
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