SSブログ

健康雑談(6)花粉症の来歴Ⅰ [エッセイ]

 花粉症と広辞苑=1

 広辞苑ひもとき見るに スモッグといふ語なかりき 入るべきものを

『広辞苑』の編者、新村出博士の偶詠である。

 なるほど、1955(昭和30)年発行の『広辞苑』第一版には「スモッグ」という項目はない。

 博士没後2年目の1969(昭和44)年発行の第二版にはある。

 同様の例は「神経症」「夏ばて」「突き指」など、けっこう多い。

「ストレス」も、ない。

 いや、「ストレス」という項目はあるのだが、その語義は「①語勢。強勢。アクセント。②内力。」の1行だけ─。

 現在、最も普通につかわれている「ストレス」の説明が、

「③[医]カナダの生理・病理学者ハンス・セリエが医学に導入した言葉。寒冷・外傷・疾病・精神的緊張などが原因(ストレス作因・ストレッサー)になって、体内で起こる一連の非特異的な防御反応─以下略」として加わるのは、第二版からである。

 では、「花粉症」はといえば、第一版はもとより第二版にも見当たらない。

 それも道理、そのころ日本には「花粉症」は存在しないと考えられていた。

 日本で最初に見つかった花粉症は、1960(昭和55)年、東京大学の荒木英斉医師によるブタクサ花粉症である。

 ついで1963(昭和58)年、東京医科歯科大の斎藤洋三医師が、スギ花粉症を発見した。

 当時、同大・耳鼻咽喉科の医局員だった斎藤医師(のち助教授)は、栃木県日光市の古河電工日光病院に出向していた。

 3月から4月にかけて、眼の結膜炎を伴う鼻炎を訴えて来院する患者がとても多いことに気づき、その原因が、日光街道の杉並木が飛ばす花粉であることを突き止めた。

 だが当時の全国的な患者数はまだ微々たるものだった。それが急にふえ始めたのが、70年代末から80年代初めである。

 関東地方では1976年、79年、82年とスギ花粉の大量飛散、患者の大量発症があり、社会問題となった。

 で、1983(昭和58)年発行の『広辞苑』第三版にようやく「花粉症」という項目がデビューした。その語釈は、

「春から夏にかけて或る種の花粉を吸引するためにかかる鼻炎。一種のアレルギー性疾患で、くしゃみ・喘息・結膜炎などを伴う。枯草熱。花粉熱。アレルギー性鼻炎。」というものである。

 しかし、これ、じつは第二版収載の「枯草熱」の解説がそっくりそのまま引っ越してきたものなのである。

「こそうねつ【枯草熱】(hay fever)春から夏にかけて或る種の花粉を吸引するためにかかる鼻炎。一種のアレルギー性疾患で、くしゃみ・喘息・結膜炎などを伴う。」
 
 ね、一字一句、違わないでしょう。末尾に「枯草熱。花粉熱。アレルギー性鼻炎。」がつけ足されただけである。

 では、第三版の「枯草熱」は? と見ると、そこにはただひとこと。「花粉症に同じ」。

 枯草熱とはなにか? 話のつづきは来週─。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。