学芸通信社に関する総括 [プロテスト]
卑劣な虚言
あれから1年10カ月、2度目の正月を迎えるが、キミはまだ怒っているのかね?
──もちろんだ。激しく怒り、軽蔑している。ツバを吐きかけてやりたい。
最大の理由は何かね。
──会社ぐるみで卑劣な小汚い虚言を弄したことだ。
25年余、9000回以上も続けた記事の打ち切りを、突然、一通の手紙で通告してきて、その理由をこう述べていた。
「大震災の被災地の新聞、S、F、Jの3紙の新聞社から『健康歳時記』の配信の中止を連絡してきました。 一気に3紙の配信中止となりますと、配信するごとに赤字となってしまいます。
この状況をどうするか、先週末、社内で検討しました。
大変心苦しいのですが、上半期が終わる6月下旬をもちまして、[健康歳時記]の配信を中止することとなりました」
これがすべて真っ赤なウソだったのだから、呆れ果て、哀れみ、憫笑しつつも、心底、怒りを禁じえなかった。
3月11日からまだひと月ばかりのあの時期に、よくこんな無神経な薄汚いウソを「社内」で「検討」できたものだ。どういう会社なのか? 社長の顔を見てみたいよ。
本当に経費面でそういう事実があったのではないのか?
──おれも最初はそれを信じた。で、それならば赤字にならない原稿料は? と聞いてやったら、
「ご質問いただいた原稿料減の引き合いについて、他のコラムの配信状況や人件費などの諸事情もあるので明確には言えませんが、現在の状況では一本当たりだいたい45%~50%減(3000円くらい)となってしまいます」と言ってきた。
では、当面、それで継続するのはどうかと提案したところ、
「今までも安価で原稿を書いていただいているのに、その半額近くで書いていただくのは申し訳ないし、逆にその値段では失礼になる、継続してもその値段では、テンションの維持は難しいなどの意見が出ました。ご提案いただいたのにもかかわらず、申し訳ないのですが、やはり[健康歳時記]は6月で終了することとなりました」という返事だった。
だが、実際にはコラムそのものは終了しなかった?
──そうだ。3紙の掲載が中止になっても10紙以上は残るのだから、そもそも「配信するごとに赤字になる」というのがあり得ないし、それにF紙は5月から、S紙は6月から『健康歳時記』の掲載を再開したのだ。そのことについては、このブログの『G芸通信社への追伸』に記した。
それでも、6月で配信を停止するというので、では、『健康歳時記』という欄は、6月下旬分の原稿で、すべての新聞から消えるわけだねと聞いてやったら。
「健康歳時記につきまして、弊社からの配信による『健康歳時記』はなくなります。今でも弊社の配信とは違う『健康歳時記』というタイトルのコラム(いわき民報など)もありますし、各々の新聞社で『健康歳時記』というタイトルを使う可能性はあります」となんだか持って回ったあいまいな返事が来た。
そこで、要するに、7月以降の各紙で『健康歳時記』の掲載が続いても、それは学芸通信社とは無関係、ということですね。と念押ししたら、
「メールを拝読致しました。おっしゃるとおりです。各紙で掲載の時期が若干ずれていますので、7月の初旬頃までは、いずれかの新聞で丸山さんに書いていただいた『健康歳時記』は掲載するかもしれませんが、配信は6月下旬にいただくもので終わりです。その後は、どこかの新聞社で『健康歳時記』と銘打っていても弊社のものではありません。よろしくお願い申し上げます」
なにが、よろしくお願い申し上げます、だ。
そう言いながら、7月からは別のライターによる同じコラムの配信を続けたのだ。品性下劣な二枚舌というほかない。
「上半期が終わる6月下旬で配信を中止」と言ってきたのは、4月中旬のあの時点では、まだ次のライターが決まってなかったので、それを用意するための時間稼ぎだったのだろう。なんと小ずるいウソをつくものだ。そのいじましい心情を想像すると、いっそ哀れでさえある。
なかなかゲイが細かいなあ。
──社名に「学芸」と冠するだけあって、ガクのある知恵者がそろっていて、人をだますのもお得意なのだろう。
社内会議で、ライターを変えるのはいいが、大震災にかこつけるのは、まずいのではないか、という人間が一人もいなかったのか。たとえ10人そこそこの小さな会社でも、一人ぐらいはまともな人間がいたっていいではないか。
しかし、ずいぶん嫌われたものだな。
──なぜ、嫌われたのか。そのことについては、『あほんだら日本語格闘記』2~5に詳述した。
おれは仕事というのは、意見を出し合い、議論しながら進めるものだと思っているが、彼らはそうではなかったということだ。
用字・用語のことだね。それは共同通信社の『記者ハンドブック 新聞用字用語集』に準拠することになっているのだろう。
──そうだ。しかし、記者ハンドブックにも、
「表記例のうち、漢字で掲げてあるものは、原則として漢字書きにするが、漢語を除いて平仮名書きしてもよい。文章の硬軟、文脈に応じて平仮名書きを活用する。また平仮名書きの表記例は必要に応じて片仮名書きにしてもよい」と記されてあるのだ。
だが、彼らは、漢字書き以外の表記はがんとして認めようとしない。こちこちの杓子定規、どうしようもない石頭だった。
そのくせ、2010年10月、「改定常用漢字表」が発表になり、『記者ハンドブック』の改訂版が出たあと、こちらがその「新常用漢字対応版」に準じた原稿を送ったら、それらの漢字を一々、平仮名に直してきた。
いや、これらの漢字は新常用漢字では使えることになったのだよと言ってやったら、「ずいぶん増えたのですね」という能天気な反応だった。
本来なら向こうから「常用漢字が増えました」と言ってくるべきだし、これまでは()でくくる読み仮名つきだった漢字がそうではなくなっていたら、あ、これ、新常用漢字だなと気づくべきだろう。日本語を扱う仕事のプロなんだから。
結局、彼らの認識はその程度、まことにお粗末というしかなかった。
虫けら以下のウジ虫
しかし、いまごろなんと言われてもテキは痛くもかゆくもないだろうね。
──そりゃそうだろう。なにか感じるような手合いだったら、あんな恥知らずなことはできなかっただろうよ。
恥知らずなウソをついても、やめさせたかった。よくよく持て余されたわけだな。
──「社内会議」とやらの結論を導いた中心人物が、我の強い底意地の悪い女性だからね、それくらい道理の通らぬ意地悪は平気でやるだろう。
ひと癖あるご婦人のごキゲンをそこねたわけか。でも、25年、それなりに貢献してきたのではないのかね。
──その証拠の一例を、コラムの配信先の宮崎日日新聞の記事を借りて示したい。コラムの筆者の交代を報じた同紙の記事にこうある。
─前略─(健康歳時記は)学芸通信社が1977(昭和52)年から配信を始め、全国の地方紙や情報誌で人気を博してきた。
─中略─同社によると、日々のニュースとは異なる「気軽に読める医療記事」として配信を開始、当初は社内で記事を制作していたが、より専門的な内容を盛り込むため、途中から外部の執筆者に委託した。数人の担当者を経て、86(昭和61)年から丸山さんが執筆者となった。配信当初、掲載するメディアは2社だけだったのが徐々に増え、常に10社前後が掲載するように。
─中略─1万数千回に上る配信回数のうち、丸山さんは約9千回を執筆。─以下略─(2011年6月29日宮崎日日新聞)。
読んで、へえ! と思った。おれが執筆を引き受けた1986年3月に聞いた話は、
「去年(つまり1985年)から始めた企画で配信先はまだ青森県のT紙、宮城県のS紙の2社だけ」なので、だから原稿料も安いけど……ということだった。
で、5年経った1991年、連載の一部を本にしたとき(『ビジネスマン元気術』日本マンパワー出版)、巻末に掲載新聞名を記すためにたずねたところ9紙になっていた。
「1977年から配信を始め」て「数人の担当者を経」たというのが事実なら(ライターはだましても、おとくいさまの新聞社にウソを言うわけはないから、事実だろう)、9年間に何人、"選手交代"してもただの1紙も増やせなかったのが、おれに代わってからの5年間で7紙増加して9紙、2冊目の本(『読むサプリ』明拓出版)を出した2008年には15紙誌になっていた。少なからず貢献したといえるのではないか。
なのに、ポイ捨てとは、ずいぶん見くびられたものだな、まるで虫けら扱いだな。
──まあ、虫けら同然のライターであるのは間違いないが、その虫けらをだますのに醜悪下劣なウソをつくやからは虫けら以下のウジ虫だよ。
だけど、そんなひどい連中とよく25年以上もつき合ってこられたね。
──いや、はじめのころの担当編集者2人は、とても感じのいい人たちだったのだ。
悪化したのは、3人目の口達者な小理屈の得意な女性と、その後継者の言い訳名人のとろい男になってからなんだ。
何度も、もう止めようと思ったこともあったが、ガマンして続けられたのは、よい媒体と読者に恵まれたからで、それが大きな心の支えだった。
配信中止のウソに気づいた5月の時点で、よほどすぐさま黙ってやめてしまおう、意地悪には意地悪で仕返ししてやろうと、大人気ないことをかんがえたりもしたが、それでは媒体各社に迷惑をかけるし、読者に失礼になると思い直した。有終の美とはいえないまでも、せいぜいいい原稿を書いて終りたかった。きれいごとを言うようだけど、そういうことだった。
昨日の敵は今日も敵
さて、ずいぶん長々と言いたいことを言って、すこしは気が晴れたかね。
──いや、まだまだ言いたいことはたんとある。ヒマができたら、また怒りをぶちまけたい。昨日の敵は、今日も、明日も、未来永劫、敵なのだから。
おれの人生、後悔と反省と自己嫌悪の連続だったが、半面、ちゃらんぽらん、のんべんだらり、煮えたぎる憤怒や屈辱などとは無縁に生きてきた。それはとてもありがたいことであったが、だらしないことでもあった。
どたばた人生劇の終幕にさいして、人間らしい怒りをぶつける機会に遭遇したのは、奇貨おくべし。喜ぶべきことかもしれないな。
ありがとよ、Aクン、Kクン、「社内会議」のご一統サン。
「総括」といふ凄まじき語のありき 命を懸けし自己批判として 清水房雄
あれから1年10カ月、2度目の正月を迎えるが、キミはまだ怒っているのかね?
──もちろんだ。激しく怒り、軽蔑している。ツバを吐きかけてやりたい。
最大の理由は何かね。
──会社ぐるみで卑劣な小汚い虚言を弄したことだ。
25年余、9000回以上も続けた記事の打ち切りを、突然、一通の手紙で通告してきて、その理由をこう述べていた。
「大震災の被災地の新聞、S、F、Jの3紙の新聞社から『健康歳時記』の配信の中止を連絡してきました。 一気に3紙の配信中止となりますと、配信するごとに赤字となってしまいます。
この状況をどうするか、先週末、社内で検討しました。
大変心苦しいのですが、上半期が終わる6月下旬をもちまして、[健康歳時記]の配信を中止することとなりました」
これがすべて真っ赤なウソだったのだから、呆れ果て、哀れみ、憫笑しつつも、心底、怒りを禁じえなかった。
3月11日からまだひと月ばかりのあの時期に、よくこんな無神経な薄汚いウソを「社内」で「検討」できたものだ。どういう会社なのか? 社長の顔を見てみたいよ。
本当に経費面でそういう事実があったのではないのか?
──おれも最初はそれを信じた。で、それならば赤字にならない原稿料は? と聞いてやったら、
「ご質問いただいた原稿料減の引き合いについて、他のコラムの配信状況や人件費などの諸事情もあるので明確には言えませんが、現在の状況では一本当たりだいたい45%~50%減(3000円くらい)となってしまいます」と言ってきた。
では、当面、それで継続するのはどうかと提案したところ、
「今までも安価で原稿を書いていただいているのに、その半額近くで書いていただくのは申し訳ないし、逆にその値段では失礼になる、継続してもその値段では、テンションの維持は難しいなどの意見が出ました。ご提案いただいたのにもかかわらず、申し訳ないのですが、やはり[健康歳時記]は6月で終了することとなりました」という返事だった。
だが、実際にはコラムそのものは終了しなかった?
──そうだ。3紙の掲載が中止になっても10紙以上は残るのだから、そもそも「配信するごとに赤字になる」というのがあり得ないし、それにF紙は5月から、S紙は6月から『健康歳時記』の掲載を再開したのだ。そのことについては、このブログの『G芸通信社への追伸』に記した。
それでも、6月で配信を停止するというので、では、『健康歳時記』という欄は、6月下旬分の原稿で、すべての新聞から消えるわけだねと聞いてやったら。
「健康歳時記につきまして、弊社からの配信による『健康歳時記』はなくなります。今でも弊社の配信とは違う『健康歳時記』というタイトルのコラム(いわき民報など)もありますし、各々の新聞社で『健康歳時記』というタイトルを使う可能性はあります」となんだか持って回ったあいまいな返事が来た。
そこで、要するに、7月以降の各紙で『健康歳時記』の掲載が続いても、それは学芸通信社とは無関係、ということですね。と念押ししたら、
「メールを拝読致しました。おっしゃるとおりです。各紙で掲載の時期が若干ずれていますので、7月の初旬頃までは、いずれかの新聞で丸山さんに書いていただいた『健康歳時記』は掲載するかもしれませんが、配信は6月下旬にいただくもので終わりです。その後は、どこかの新聞社で『健康歳時記』と銘打っていても弊社のものではありません。よろしくお願い申し上げます」
なにが、よろしくお願い申し上げます、だ。
そう言いながら、7月からは別のライターによる同じコラムの配信を続けたのだ。品性下劣な二枚舌というほかない。
「上半期が終わる6月下旬で配信を中止」と言ってきたのは、4月中旬のあの時点では、まだ次のライターが決まってなかったので、それを用意するための時間稼ぎだったのだろう。なんと小ずるいウソをつくものだ。そのいじましい心情を想像すると、いっそ哀れでさえある。
なかなかゲイが細かいなあ。
──社名に「学芸」と冠するだけあって、ガクのある知恵者がそろっていて、人をだますのもお得意なのだろう。
社内会議で、ライターを変えるのはいいが、大震災にかこつけるのは、まずいのではないか、という人間が一人もいなかったのか。たとえ10人そこそこの小さな会社でも、一人ぐらいはまともな人間がいたっていいではないか。
しかし、ずいぶん嫌われたものだな。
──なぜ、嫌われたのか。そのことについては、『あほんだら日本語格闘記』2~5に詳述した。
おれは仕事というのは、意見を出し合い、議論しながら進めるものだと思っているが、彼らはそうではなかったということだ。
用字・用語のことだね。それは共同通信社の『記者ハンドブック 新聞用字用語集』に準拠することになっているのだろう。
──そうだ。しかし、記者ハンドブックにも、
「表記例のうち、漢字で掲げてあるものは、原則として漢字書きにするが、漢語を除いて平仮名書きしてもよい。文章の硬軟、文脈に応じて平仮名書きを活用する。また平仮名書きの表記例は必要に応じて片仮名書きにしてもよい」と記されてあるのだ。
だが、彼らは、漢字書き以外の表記はがんとして認めようとしない。こちこちの杓子定規、どうしようもない石頭だった。
そのくせ、2010年10月、「改定常用漢字表」が発表になり、『記者ハンドブック』の改訂版が出たあと、こちらがその「新常用漢字対応版」に準じた原稿を送ったら、それらの漢字を一々、平仮名に直してきた。
いや、これらの漢字は新常用漢字では使えることになったのだよと言ってやったら、「ずいぶん増えたのですね」という能天気な反応だった。
本来なら向こうから「常用漢字が増えました」と言ってくるべきだし、これまでは()でくくる読み仮名つきだった漢字がそうではなくなっていたら、あ、これ、新常用漢字だなと気づくべきだろう。日本語を扱う仕事のプロなんだから。
結局、彼らの認識はその程度、まことにお粗末というしかなかった。
虫けら以下のウジ虫
しかし、いまごろなんと言われてもテキは痛くもかゆくもないだろうね。
──そりゃそうだろう。なにか感じるような手合いだったら、あんな恥知らずなことはできなかっただろうよ。
恥知らずなウソをついても、やめさせたかった。よくよく持て余されたわけだな。
──「社内会議」とやらの結論を導いた中心人物が、我の強い底意地の悪い女性だからね、それくらい道理の通らぬ意地悪は平気でやるだろう。
ひと癖あるご婦人のごキゲンをそこねたわけか。でも、25年、それなりに貢献してきたのではないのかね。
──その証拠の一例を、コラムの配信先の宮崎日日新聞の記事を借りて示したい。コラムの筆者の交代を報じた同紙の記事にこうある。
─前略─(健康歳時記は)学芸通信社が1977(昭和52)年から配信を始め、全国の地方紙や情報誌で人気を博してきた。
─中略─同社によると、日々のニュースとは異なる「気軽に読める医療記事」として配信を開始、当初は社内で記事を制作していたが、より専門的な内容を盛り込むため、途中から外部の執筆者に委託した。数人の担当者を経て、86(昭和61)年から丸山さんが執筆者となった。配信当初、掲載するメディアは2社だけだったのが徐々に増え、常に10社前後が掲載するように。
─中略─1万数千回に上る配信回数のうち、丸山さんは約9千回を執筆。─以下略─(2011年6月29日宮崎日日新聞)。
読んで、へえ! と思った。おれが執筆を引き受けた1986年3月に聞いた話は、
「去年(つまり1985年)から始めた企画で配信先はまだ青森県のT紙、宮城県のS紙の2社だけ」なので、だから原稿料も安いけど……ということだった。
で、5年経った1991年、連載の一部を本にしたとき(『ビジネスマン元気術』日本マンパワー出版)、巻末に掲載新聞名を記すためにたずねたところ9紙になっていた。
「1977年から配信を始め」て「数人の担当者を経」たというのが事実なら(ライターはだましても、おとくいさまの新聞社にウソを言うわけはないから、事実だろう)、9年間に何人、"選手交代"してもただの1紙も増やせなかったのが、おれに代わってからの5年間で7紙増加して9紙、2冊目の本(『読むサプリ』明拓出版)を出した2008年には15紙誌になっていた。少なからず貢献したといえるのではないか。
なのに、ポイ捨てとは、ずいぶん見くびられたものだな、まるで虫けら扱いだな。
──まあ、虫けら同然のライターであるのは間違いないが、その虫けらをだますのに醜悪下劣なウソをつくやからは虫けら以下のウジ虫だよ。
だけど、そんなひどい連中とよく25年以上もつき合ってこられたね。
──いや、はじめのころの担当編集者2人は、とても感じのいい人たちだったのだ。
悪化したのは、3人目の口達者な小理屈の得意な女性と、その後継者の言い訳名人のとろい男になってからなんだ。
何度も、もう止めようと思ったこともあったが、ガマンして続けられたのは、よい媒体と読者に恵まれたからで、それが大きな心の支えだった。
配信中止のウソに気づいた5月の時点で、よほどすぐさま黙ってやめてしまおう、意地悪には意地悪で仕返ししてやろうと、大人気ないことをかんがえたりもしたが、それでは媒体各社に迷惑をかけるし、読者に失礼になると思い直した。有終の美とはいえないまでも、せいぜいいい原稿を書いて終りたかった。きれいごとを言うようだけど、そういうことだった。
昨日の敵は今日も敵
さて、ずいぶん長々と言いたいことを言って、すこしは気が晴れたかね。
──いや、まだまだ言いたいことはたんとある。ヒマができたら、また怒りをぶちまけたい。昨日の敵は、今日も、明日も、未来永劫、敵なのだから。
おれの人生、後悔と反省と自己嫌悪の連続だったが、半面、ちゃらんぽらん、のんべんだらり、煮えたぎる憤怒や屈辱などとは無縁に生きてきた。それはとてもありがたいことであったが、だらしないことでもあった。
どたばた人生劇の終幕にさいして、人間らしい怒りをぶつける機会に遭遇したのは、奇貨おくべし。喜ぶべきことかもしれないな。
ありがとよ、Aクン、Kクン、「社内会議」のご一統サン。
「総括」といふ凄まじき語のありき 命を懸けし自己批判として 清水房雄
2012-12-30 19:51
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コメント(5)
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うーん、もういいかげんにしたら。
非は相手にあるにせよ、ここまでしつこく書くようだと
あなたの品性も疑われますよ。
くよくよ後ろを振り返るより
新しいことに向かって進んだ方が、健康にはいいですよ。
by なんだか (2013-02-03 11:57)
「なんだか」さま。
ご忠告、ありがとうござます。
いや、まあ、「品性」なんてものは、はなから放棄して、己れをさらけだしてるわけでして……。
コメントをいただいていたことに気づかず、失礼しました。
遅ればせながら、お礼まで。
by マルさん (2013-02-19 13:45)
半世紀にもわたる付き合いがこんな結末に終わるなんて、それこそツバを吐きかけ、おまけに尻をまくって屁をぶっかけてやればよかったのに。それにしても卑劣な虚言や狡猾な言葉が跋扈するのが人間社会。嫌ですね。それを奇貨居くべしと達観されるとは、さすが人生経験豊かな大先輩!
by nohohon (2013-05-21 17:12)
力強いご加勢、ありがとうございます。
痛快な啖呵、胸がすきました。
尻くらえ、無学珍芸野郎ども(笑)
心からのお礼まで。
by マルさん (2013-05-22 09:57)
半世紀にもわたる付き合いがこんな結末に終わるなんて、それこそツバを吐きかけ、おまけに尻をまくって屁をぶっかけてやればよかったのに。それにしても卑劣な虚言や狡猾な言葉が跋扈するのが人間社会。嫌ですね。それを奇貨居くべしと達観されるとは、さすが人生経験豊かな大先輩!
by nohohon (2013-05-25 10:23)